富山市立樫尾小学校
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富山市立樫尾小学校 | |
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北緯36度34分31.714秒 東経137度9分18.616秒 / 北緯36.57547611度 東経137.15517111度座標: 北緯36度34分31.714秒 東経137度9分18.616秒 / 北緯36.57547611度 東経137.15517111度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 富山市 |
設立年月日 | 1878年(明治11年)7月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B116220100563 |
所在地 | 〒939-2321 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
富山市立樫尾小学校(とやましりつ かしおしょうがっこう)は富山県富山市八尾町小長谷にあった公立小学校。
校舎
[編集]2008年(平成20年)12月に竣工した現在の校舎は、RC/S(鉄筋コンクリート)造地上2階建て[2]で延床面積は約3,040m2[3]、押田建築設計事務所による設計監理、日本海建興・澤井興業・つばさ建設JVにより施工されたものである。RC打放しの壁に、日本瓦を使用した屋根が特徴的である[2]。これにより木造だった旧校舎の面影が残る形となっている[4]。
2023年(令和5年)度末で学校再編により廃校になることを受けて、富山市教育委員会は、校舎をインターネット上の仮想空間に残す取り組み『樫尾小デジタル資産化プロジェクト』を行っている[5]。
沿革
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個別に出典が提示されていない箇所の出典→[6]
- 1878年(明治11年)7月1日 - 村杉村字大薙120番地に永進小学校(栄進小学校[7])を創立し、下等科を設置。
- 1882年(明治15年) - 初等科を設置。
- 1887年(明治20年)4月 - 簡易科を設置し、村杉小学校と改称[7]。
- 1892年(明治25年)10月 - 村杉尋常小学校と改称[7]。
- 1909年(明治42年)4月 - 村杉、宮腰および土の3小学校を廃止し、新たに大字樫尾村19番地に校舎を新築して樫尾尋常小学校と改称。大字宮腰村および土村(後の大沢野町)に常設分教場を設置した。
- 1924年(大正13年)5月 - 宮腰、土の両分教場を廃止し、宮腰村は樫尾小学校に、土村は小羽小学校に併合された。
- 1928年(昭和3年)4月 - 高等科を併置し、樫尾尋常高等小学校と改称。
- 1941年(昭和16年)4月 - 樫尾国民学校と改称[7]。
- 1947年(昭和22年)4月 - 樫尾小学校と改称[7]。
- 1953年(昭和28年) - 校舎新築(日本海建興が施工)[2]。
- 1954年(昭和29年) - 屋内体育館を新築。
- 1972年(昭和47年) - 水泳プール竣工。
- 2005年(平成17年)4月 - 富山市立樫尾小学校と改称[7]。
- 2007年(平成19年)8月6日 - 現校舎の起工式[8]。
- 2008年(平成20年)12月 - RC/S造地上2階建ての校舎が竣工[2]。
- 2009年(平成21年)
- 2024年(令和6年)
通学区域
[編集]八尾町小長谷元村(一部を除く)、八尾町小長谷雇用促進、八尾町新杉、八尾町樫尾、八尾町岩屋、八尾町宮腰、八尾町外堀、八尾町北東、八尾町晴巒台[10]
進学先
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 富山市立学校設置条例 別表第1(第2条関係)
- ^ a b c d 施工実績(日本海建興株式会社、2023年10月8日閲覧)
- ^ a b 『北日本新聞』2009年1月9日付朝刊22面『新校舎わくわく』より。
- ^ a b 『北日本新聞』2009年1月26日付朝刊20面『樫尾小 旧校舎の面影残す』より。
- ^ 閉校の樫尾小、仮想空間に 富山市教委「学校ロス」軽減へ(富山新聞DIGITAL、2023年6月17日)
- ^ 『続八尾町史』(1973年10月30日、八尾町役場発行)581 - 582頁。
- ^ a b c d e f 八尾地域の小学校の概要7頁『富山市立樫尾小学校』(富山市、2023年10月8日閲覧)
- ^ 『北日本新聞』2007年8月7日付朝刊28面『新校舎工事 安全祈る 樫尾小起工式 来年12月完成目指す』より。
- ^ a b 『北日本新聞』2024年3月16日付30面『樫尾小 145年の歴史に幕 「絆消えない」児童誓う 新年度 八尾小に統合』より。
- ^ 富山市小中学校通学区域表より 平成26年8月現在