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富岡宣永

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
とみおか のぶなが

富岡 宣永
生誕 1870年3月9日
日本の旗 日本 香川県仲多度郡象郷村
死没 1949年12月26日
出身校 皇典講究所
職業 神職
著名な実績 富岡八幡宮宮司
東京府神職会副会長
家族 富岡盛彦(養子)
富岡興永(孫)
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富岡 宣永[1](とみおか のぶなが[2][注 1]1870年3月9日明治3年2月8日[1] - 1949年昭和24年)12月26日[4])は、日本神職[2]富岡八幡宮宮司(第17代)[5]。旧姓・[1]

経歴

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香川県仲多度郡象郷村の森粂八の三男[1][2]。少時、郷里の私立中学明道校に学ぶ[1]1887年に上京して皇典講究所に入り、1892年に優等で卒業する[1][2]群馬県皇典講究分所教授に任ぜられ、傍ら県立中学教師となるが、1年在職して帰京する[1][2]。日々図書館に入り、独学独習する[1]。和漢の文学に通じる[2]

日清戦争予備として召集され、広島輜重兵大隊に入る[1]。凱旋すると、東京深川富岡八幡宮宮司・富岡有永の養子となり、社司に補せられ、養父の業を継ぐ[1]。皇典講究所評議員となり、東京府神職会副会長に推され、奏任の待遇を受く[2]。1949年に死去[2]。叙従六位[2]

人物

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趣味の人である[1]。和漢英学を兼ねて、特に文学を好む[1]。嗜好は謡曲書道及び挿花[1]国学院々友会水穂会各会員である[6]。住所は東京市深川区富岡町一丁目[6](現・東京都江東区富岡)。

家族・親族

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富岡家
  • 養父:富岡有永(1838年 - 1895年)。富岡八幡宮第16代宮司。
  • 妻:トヨ子1877年 - ?)[1]
  • 長女:好子[1]1897年 - ?)。富岡盛彦の妻[7]
  • 次女[1]
  • 三女[1]
  • 養子:盛彦(1892年 - 1974年)。福岡県出身。沢渡敬吉の二男[7]、富岡八幡宮第18代宮司。
    • 同長女:美枝(1923年 - ?)[7]
    • 同長男:邦臣(1926年 - ?)[7][8]
    • 同次男:興永1928年 - 2012年)。出生名は宰一郎[7]。富岡八幡宮第19代宮司。
    • 同次女:昌子(1931年 - ?)[7]

脚注

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注釈

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  1. ^ 名前の読み方は、公益財団法人 渋沢栄一記念財団のウェブサイトでは「せんえい」[3]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『大正名家録』ト20頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 『神道人名辞典 昭和30年版』と111頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月20日閲覧。
  3. ^ とみおか・せんえい※ 富岡 宣永”. 公益財団法人 渋沢栄一記念財団 (2023年3月3日). 2024年1月20日閲覧。
  4. ^ 『神祇史年表 下巻 増補版』(明文社、1968年)p.29
  5. ^ 『肇国 10(7)』31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月20日閲覧。
  6. ^ a b 『大衆人事録 第14版 東京篇』674頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月20日閲覧。
  7. ^ a b c d e f 『東京紳士録 昭和39年版』と10 - 11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年1月20日閲覧。
  8. ^ 『昭和人名辞典II』第1巻 東京篇 1989年第一刷、1993年第二刷、559頁

参考文献

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  • 原田道寛編『大正名家録』二六社編纂局、1915年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。
  • 『肇国 10(7)』肇国神祇聯盟、1948年。
  • 『神道人名辞典 昭和30年版』神社新報社、1955年。
  • 東京探偵社編『東京紳士録 昭和39年版』東京探偵社、1964年。