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富岡惟中

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

富岡 惟中[1][2](とみおか これなか、1891年明治24年)7月24日[3] - 没年不明)は、日本工学博士[4][5][6]技師染料界の権威である[7]

人物

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東京府・富岡保の二男[3][5][8]。医学博士・富岡有象の弟[8]1909年東京府立第四中学校を卒業[9]。1912年、第一高等学校を卒業[10]1915年東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業[2][5][8][11]東京瓦斯技師に就任[5]

1918年、臨時産業調査局技師兼農務局技師に転じ、1922年欧米各国に留学を命ぜられる[5]1925年商工技師に任じ、東北帝国大学工学部東京工業大学及び東京工業試験所等に勤務する[5]

1930年、工学博士の学位を授与される[5][8]。染料製造奨励に関する事務に従事する[12]1933年、官を辞し三菱鉱業に入り参事となる[5]。また日本化成工業技師長をつとめる[5]学士会会員である[13]

宗教は真宗[3][6]。趣味は音楽、旅行[3][6]庭園[4][5]。住所は東京府荏原郡碑衾町大字碑文谷[1]、東京市外洗足田園都市西谷北[8]東京市目黒区洗足町[3][4][5][6]

家族・親族

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富岡家
親戚

脚注

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  1. ^ a b 『日本紳士録 第31版』東京ト之部606頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月10日閲覧。
  2. ^ a b c d 『帝国大学出身名鑑』ト23 - 24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月11日閲覧。
  3. ^ a b c d e 『大衆人事録 第12版』東京467頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月2日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 下』ト42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月10日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第13版 下』ト45頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月10日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i 『大衆人事録 第14版 東京篇』674頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月25日閲覧。
  7. ^ 『婦人倶楽部 29(8)』。
  8. ^ a b c d e f 『人事興信録 第9版』ト40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月10日閲覧。
  9. ^ 『東京府立第四中学校一覧』明治四十二年三月第十六回卒業生222頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月2日閲覧。
  10. ^ 『第一高等学校一覧 昭和6至7年 附録 卒業生氏名』明治四十五年155頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月2日閲覧。
  11. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正7年 至大正8年』学士及卒業生姓名 工学士 応用化学科217頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月10日閲覧。
  12. ^ 『日本紡織年鑑 昭和6年』927頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月2日閲覧。
  13. ^ 『会員氏名録 昭和18年用』295頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月2日閲覧。

参考文献

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  • 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正7年 至大正8年』東京帝国大学、1913 - 1924年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
  • 日本紡織通信社編『日本紡織年鑑 昭和6年』日本紡織通信社、1930年。
  • 『第一高等学校一覧 昭和6至7年 附録 卒業生氏名』第一高等学校、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 東京篇』帝国秘密探偵社、1942年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『会員氏名録 昭和18年用』学士会、1943年。
  • 『婦人倶楽部 29(8)』講談社、1948年。