富永文一
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富永 文一(とみなが ぶんいち、1891年(明治24年)1月31日[1] - 没年未詳)は、日本の朝鮮総督府官僚。徳島県徳島市の人[1]。
経歴
[編集]- 1909年3月 徳島県立徳島中学校卒業
- 1912年7月 第七高等学校造士館卒業
- 1915年10月 高等文官試験に合格
- 1916年5月 東京帝国大学法科大学卒業
- 1916年6月 朝鮮総督府試補
- 1918年1月 道事務官(黄海道で勤務)
- 1918年10月 総督府事務官
- 1923年8月 総督府監察官を兼職
- 1925年 道事務官。全羅北道警察部長
- 1926年11月 総督府事務官に復帰。警務局保安課長
- 1929年12月 内務局地方課長
- 1931年10月 咸鏡北道知事
- 1934年11月 京畿道知事
- 1936年5月21日 学務局長(- 1937年7月3日)
- 1936年6月3日 朝鮮史編修会委員(- 1937年7月3日)
1937年に退官した後は、朝鮮殖産銀行理事、朝鮮開拓株式会社理事を歴任した[2]。
脚注
[編集]- ^ a b 輓近大日本拓殖史 1934.
- ^ 人事興信録 1943.
参考文献
[編集]- 貴田忠衛「朝鮮人事興信録」、朝鮮人事興信録編纂部 京城、1935年。
- 『輓近大日本拓殖史』日本行政学会、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。