富永皓
とみなが ひろし 富永 皓 | |
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生誕 |
1935年??月??日 日本 東京都江東区 |
職業 | 和裁職人 |
受賞 | 厚生労働省「現代の名工」 |
富永 皓(とみなが ひろし、1935年 - )は、日本の和裁職人。現代の名工。江東区指定無形文化財(工芸技術)保持者[1]。大相撲の呼出が身に着ける裁着袴(たっつけばかま)の製作を手掛け、呼出の裁着袴はすべて富永の手によるものである[2]。
経歴・人物
[編集]1935年(昭和10年)東京都江東区深川で和裁職人の家に生まれる[1]。24歳で父につき和裁を習得した。第44代横綱の栃錦の着物を仕立てていたこともあったという[3]。1950年頃(昭和35年頃)呼出寛吉から呉服店を通して裁着袴の製作を依頼され、父が型紙を製作、数年後から裁着袴の製作にかかわるようになった[4]。 すべて手縫いで裁着袴を製作しているのは富永だけである[1]。 1996年3月22日 「相撲呼出し裁着袴製作」が江東区登録無形文化財、2013年4月3日 江東区指定文化財となった[1]。 2006年11月に栽着袴に関する技能に卓越しているとして現代の名工の表彰を厚生労働省から受けた[5]。 大相撲呼出の裁着袴製作を一手に引き受ける一方で技術伝承にも尽力し、一般社団法人全国和裁着装団体連合会の和裁講習会での講師[6]、中村稠之和裁技能者一門会の代表者となり産業スクーリング事業への参加[7]、深川江戸資料館でたびたび実演を行う[8][9]など技術の披露普及に携わっている。
相撲呼出し裁着袴製作の特徴
[編集]裁着袴は足首からふくらはぎにかけて細く仕立てられた袴で、「タチツケ」と呼ばれる山袴の一種[2]。裁付袴、立付袴とも表記されるが、日本相撲協会では裁着袴の表記を用いる[4]。膝下に縫い付けられた紐で縛り、ふくらはぎから足首までを地下足袋のように小鉤で留める。
製作においての特徴は、和裁は一般に型紙を使わないものであるが、型紙を用いて生地を裁断する。使用者の体型に合わせ寸法をノートに記録し、一枚ずつ製作されており、特にふくらはぎから足首にかけての寸法は製作上の要であるという[10][11]。生地を足の指に挟み込み、あぐらをかいて生地を引っ張りながら針を進める。一枚を完成させるのに3日を要する[3]。
力士が横綱、大関に昇進すると、四股名の刺繍を施した腰板で裁着袴を製作し、呼出全員に力士が寄贈するのが習わしとなっている[11]。そのため昇進力士が出ると家業を継ぐ次女とともに「家族総出で大忙し」となる[10]。
脚注
[編集]- ^ a b c d “相撲呼出し裁着袴製作”. 江東区無形文化財(工芸技術). 江東区 (2015年3月6日). 2015年9月17日閲覧。
- ^ a b 江東区教育委員会 (2013年3月27日). “平成25年第3回定例会 江東区教育委員会会議録” (pdf). 江東区. pp. 4-6. 2015年9月17日閲覧。
- ^ a b “「ゆっくり訪ねる下町 大江戸線の旅」”. ぶらり途中下車の旅. 日本テレビ放送網 (2008年9月20日). 2015年9月17日閲覧。放送記録
- ^ a b 「【無形文化財(工芸技術)】相撲呼出し裁着袴製作 保持者 富永皓」(PDF)『下町文化』第261号、江東区地域振興部文化観光課文化財係、2013年4月26日、2頁、2015年9月17日閲覧。
- ^ 厚生労働省 (2006年11月). “平成18年度卓越した技能者の表彰被表彰者名簿”. 2015年9月17日閲覧。
- ^ “和裁講習会”. 全国和裁着装団体連合会. 2015年9月17日閲覧。
- ^ “江東区産業スクーリング登録事業所一覧”. 産業スクーリング事業. 江東区地域振興部経済課産業振興係 (2015年5月22日). 2015年9月17日閲覧。
- ^ 「伝統工芸技術の実演・体験日程」(PDF)『下町文化』第243号、江東区教育委員会生涯学習部生涯学習課、2008年9月25日、3頁、2015年9月17日閲覧。
- ^ 深川江戸資料館 (2014年6月23日). “特別展「大相撲と江東」”. 2015年9月17日閲覧。
- ^ a b 「『一寸八針』真摯に半世紀 和裁 富永皓さん(73)」街の匠 2008年10月7日、東京新聞朝刊、p.21
- ^ a b “「日本の匠 裁着袴作りの匠 富永皓さん」”. くにまるワイド ごぜんさま〜. 文化放送 (2009年2月18日). 2015年9月17日閲覧。