富谷市立富谷小学校
表示
富谷市立富谷小学校 | |
---|---|
北緯38度24分03秒 東経140度53分32秒 / 北緯38.400786度 東経140.892147度座標: 北緯38度24分03秒 東経140度53分32秒 / 北緯38.400786度 東経140.892147度 | |
過去の名称 | 富谷町立富谷小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 富谷市 |
併合学校 |
富谷町立富谷小学校(旧) 富谷町立西成田小学校 |
設立年月日 | 1974年4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B104222160016 |
所在地 | 〒981-3311 |
宮城県富谷市富谷狸屋敷85番地 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
富谷町立富谷小学校(旧) | |
---|---|
北緯38度24分5.3秒 東経140度53分25.4秒 / 北緯38.401472度 東経140.890389度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 富谷町 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 1974年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B104222160016 |
所在地 | 〒981-3311 |
宮城県黒川郡富谷町富谷西沢13 現:富谷中央公民館 | |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
富谷市立富谷小学校(とみやしりつ とみやしょうがっこう)は、宮城県富谷市富谷狸屋敷にある公立小学校[1]。
沿革
[編集]- 富谷小学校(旧)
- 1873年(明治6年) - 仙台藩の代官所であった建物を校舎として開校。
- 1895年(明治28年) - 高等科を設置。
- 1909年(明治42年) - 南向校舎増築。
- 1974年(昭和49年)3月31日 - 西成田小学校と統合し、富谷小学校(新)へ[2]。
- 富谷小学校(新)
- 1974年(昭和49年)4月 - 旧・富谷小学校と旧・西成田小学校を統合し、富谷町立富谷小学校開校
- 1974年(昭和49年)6月 - 校舎落成[3]
- 1978年(昭和53年)4月 - 富谷町立富ケ丘小学校(当時)が分離・開校
- 2016年(平成28年)10月10日 - 富谷市制施行にともない現校名へ変更。
学区
[編集]- 富谷(南沢、高屋敷、北沢、日渡、前沖、堂ノ前、湯船沢、一枚沖、南裏、北裏、仏所、荒田沢、東沢、西沢、狸屋敷、原下、清水沢、清水仲、坂松田、宮ノ沢、矢倉下、内田、新町、桜田、原前北、原前南、根崎沢、熊野、奈良木沢上、奈良木沢下、関ノ川)
- 一ノ関(段ノ沢、南沖、北沖、コウスノ、鎌田、清水沢、高田、向川原、西川原、西川原山、袋川原、臑合山、臑合沢、カナエ田、川又山、鍋田山、清水ケ沢山、舞台、島田、堰下、新南沖、新北沖)
- 二ノ関(稗田、身洗、原、原下、内ノ目、清水沢、塩カラ、舘下、舘山、中坪、相良、大沢、田子沢、川原、袋、袋東、内ノ目前、内ノ目下、石名坂、竹林、鹿ノ山、原在家山、南田子沢、新原下、新内の目前、中道北、中道南、新六反田)
- 三ノ関(三枚橋、西沖、東沖上、本木上、太子堂西、太子堂東、太子堂上、太子堂下、太子堂中、坂ノ下、白旗、神社東、神社前上、神社前下、狼沢、馬場沢、馬場沢下、膳部沢上、膳部沢下、蛤、山田、本木西、本木東)
- 志戸田(塩釜、野田、田子沢山、田子沢、北田子沢、大道下、宮前、桧木、上桧木、下桧木、渋井、上川原、原前、鴇丁、沢田、千苅田、切添、三ケ森、平成北、平成南、新塩釜)
- 穀田(要害、土間沢一番、土間沢二番、郷ノ目、丸森一番、丸森二番、石沢、三百刈、岩下、立石、釜ノ沢、土屋沢の一部、松場、高屋敷、瀬戸ノ沢、花ノ沢、瀬ノ木、菅ノ沢、角力沢)
- 大童(下八幡、上八幡、岩木沢、養禅寺、八乙女、新八乙女、新養禅寺、新檀ノ下、檀ノ下)
- 今泉(巻貫、富ケ崎、水神沢、坂ノ下、上中田、新鶴巻、鶴巻、亀水作、三ツ沢、松木沢、松木沢前、瀬戸ケ沢、寺前、後沢、八幡下、四百刈、稲荷下、沢目、砂山、小谷地、樋口、槻道、鍛冶ケ沢、大沢、堤沢、深苗代、新後沢、新亀水作、宮前、新玉貫、新上中田、上の沢、新巻貫、新坂ノ下、新深苗代)
- 大亀(袋一番、袋二番、袋三番、間渡一番、間渡二番、間渡三番、和合田一番、和合田二番、内名子一番、内名子二番、大沢一番、大沢二番、佐野一番、佐野二番、滑理川一番、滑理川二番、漆穂一番、漆穂二番、漆穂三番、新袋)
- 石積(大道渕、西風沢、梅木町、細田、川向、広表前、北沢田、苅又前、鵐沢、堂ケ沢、荒屋敷前、勝負沢、道栗、長栄前、十文字、三合田沢、三合田前、中町、堀田、塚田、松貝、猿田)
- 明石(宮前の一部、上桜ノ木の一部、下向田、祭田、下折元、上折元、西ノ入、下寺前の一部、玉抜、原川戸、畑下、二反目、四反目、杉ノ入の一部、下犬ケ沢の一部、上犬ケ沢の一部、下桜ノ木の一部、上向田)
- 西成田(長柴一番の一部、屋敷添の一部、下八百刈、荒井向東、荒井向、荒井向西二番、千刈沖、白鳥、郷田一番、郷田二番、郷田三番、追分、榎町、上地蔵堂、下地蔵堂前、竹ノ下一番、竹ノ下二番、上八百刈、川原田、金ケ崎、南田、寺前、中沢の一部、山ノ神)
- 太子堂1丁目、太子堂2丁目、ひより台1丁目、ひより台2丁目[4]
卒業後
[編集]- 富谷市立富谷中学校に進学する。
脚注
[編集]- ^ 宮城県教育委員会
- ^ “わたしたちの学校・西成田小学校・旧富谷小学校”. 富谷町. 2015年8月9日閲覧。
- ^ 富谷町45年のあゆみ
- ^ 富谷町立富谷小学校