寺尾城 (川崎市)
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寺尾城 (神奈川県) | |
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別名 | 菅寺尾城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 寺尾若狭守か |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 寺尾氏→諏訪氏? |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 空堀、土塁 |
指定文化財 | なし |
登録文化財 | なし |
位置 | 北緯35度37分27.8秒 東経139度32分16.7秒 / 北緯35.624389度 東経139.537972度座標: 北緯35度37分27.8秒 東経139度32分16.7秒 / 北緯35.624389度 東経139.537972度 |
地図 |
寺尾城(てらおじょう)または菅寺尾城(すげてらおじょう)は、神奈川県川崎市多摩区菅馬場2丁目30付近にあった日本の城(山城)。
概要
[編集]多摩区菅馬場2丁目30付近、現在「菅馬場谷森林保存地区」となっている、北の多摩川沖積地に突き出す舌状台地末端部に遺構を残している。
城主は寺尾若狭守と伝えられ、後北条氏に仕えて以降、諏訪氏を名乗ったと言う。
資料に乏しく築造年代や寺尾氏についても不明な点が多いが、立地的な検討から同じ川崎市内の小沢城と枡形山城を結ぶ「伝えの城」ではないかと推論されている[1]。遺構として空堀が残存する。
名称について
[編集]寺尾城と呼称されているが、南東の横浜市鶴見区馬場3丁目には同じく諏訪氏が城主を務めたという「寺尾城」が存在し、混同を避けるため「菅寺尾城(すげてらおじょう)」と読み分けられることがある。なお、大類伸監修『日本城郭全集』第4集では、本項の城を「寺尾城」、鶴見区所在の城を「馬場城」として掲載している。