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寺田体育の日

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

寺田 体育の日(てらだ たいいくのひ、1962年4月5日[1] - )は、日本お笑い芸人

来歴・人物

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本名、寺田 弘治(てらだ こうじ)。愛称は寺ちゃん米国ニューヨーク州で生まれ[2]、5歳から練馬区で育つ[2]聖望学園高校[3]東京経済大学卒業[4]大川興業所属(副総裁)[5]血液型A型。身長176cm。妻と子ども2人の4人家族[2]

父親は総合商社丸紅に勤務するサラリーマン、母親は公文式の指導者をしていた。姉はアーティストの寺田真由美[2]

東映映画研究所、倉田アクションクラブを経て[2]、1987年、大川興業に入社[2]。1989年から2001年までフランキー為谷と漫才コンビ「ふうりんかざん」として活動[2]。「突撃!お笑い風林火山」の準レギュラーを掴みつつあった時期に母親とイタリア旅行に出かけるなど、チャンスを活かしきれなかった。その後為谷が大川興業を退社し解散。『浅草橋ヤング洋品店』では、「東京からひたすら東に向かうマラソン」という企画で江頭2:50のライバル役として出ていた。

また、大学在学中の20歳の時に暴走族に入るなど異色の経歴の持ち主でもある(ちなみに、暴走族内では「大学」というニックネームで呼ばれていた)。

ボディビルを嗜んでおり、大川興業きっての肉体派である。大川豊いわく『族上がりのボディビルダー』。東京ボディビル選手権に出場経験を持つ[2]

玉置ピンチ!とのコンビ「一度は売れ隊」で活躍していた。寺田のツッコミが強烈すぎて、漫才を15分やると玉置が倒れて救急車を呼ばなければならなくなるため、8分が限界だった。その後玉置が事実上退職し自然消滅。

また、2000年よりアパート経営も行っている[4]

若手芸人の育成に力を入れており、江頭2:50からは「大川興業ブッチャーブラザーズ」と称された。

江頭のネット番組のアシスタントや営業イベントでは司会を務めることが多かった。 時々江頭と組んだコンビ「江頭2:50と副総裁」として活動もしていた。その後2020年に江頭が大川興業を退社しばんぺいゆマネジメントへ移籍したためコンビ解消。

出演

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テレビドラマ

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映画

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ゲーム

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Web番組(レギュラー出演)

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脚注

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  1. ^ 寺田体育の日|日本タレント名鑑”. 日本タレント名鑑. 2021年10月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h ねりま人#129 寺田体育の日さん(お笑い芸人、大川興業副総裁)|特集記事|とっておきの練馬”. とっておきの練馬. 2021年10月19日閲覧。
  3. ^ 寺田体育の日が母校聖望学園にエール - 芸能ニュース”. nikkansports.com. 2020年11月19日閲覧。
  4. ^ a b 寺田体育の日 | 大川興業” (2019年4月10日). 2020年11月19日閲覧。
  5. ^ 江頭2:50など強烈キャラ揃いの大川興業が大切にする「お笑い」への眼差し”. 週刊女性PRIME. 2021年10月19日閲覧。

外部リンク

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