対馬塚古墳
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対馬塚古墳 | |
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前方部前面・石祠 | |
所属 | 壱岐古墳群 |
所在地 | 長崎県壱岐市勝本町立石東触 |
位置 | 北緯33度47分43.02秒 東経129度41分31.62秒 / 北緯33.7952833度 東経129.6921167度座標: 北緯33度47分43.02秒 東経129度41分31.62秒 / 北緯33.7952833度 東経129.6921167度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長65m 高さ8m |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室 |
出土品 | 金製品・金銅製大刀柄頭・馬具類・トンボ玉・陶器・新羅土器 |
築造時期 | 6世紀後半 |
史跡 | 国の史跡「壱岐古墳群」に包含 |
地図 |
対馬塚古墳(つしまづかこふん)は、長崎県壱岐市勝本町立石東触にある古墳。形状は前方後円墳。壱岐古墳群(国の史跡)を構成する古墳の1つ。
壱岐島では双六古墳に次ぐ第2位の規模の前方後円墳で[1]、6世紀後半頃の築造と推定される[2][3]。
概要
[編集]壱岐島中央部、標高100メートルの丘陵上に築造された古墳である。「対馬塚」の名は対馬島を見渡せることが由来と見られる[3]。昭和初期に松本友雄による調査が、1981年(昭和56年)に松永泰彦による調査が、1991年(平成3年)に長崎県教育委員会による墳丘・石室の実測調査がなされたほか[2]、1997年-2000年(平成9年-12年)にも調査がなされている[3]。
墳丘
[編集]墳丘は前方後円形で、規模は次の通り[2]。
- 墳丘長:約65メートル
- 後円部:直径約36メートル、高さ約8メートル
- 前方部:幅約25メートル
双六古墳同様、墳丘の前方部は後円部に比して長く、後円部はお椀を伏せたような急斜面をなす特徴を有している[2]。戦時中に高射砲を据えるため後円部墳頂が削平され、途中に段も付されており、現在では2段築成かのような外見となっている[2]。他の外部施設として、葺石や周濠は認められていない[2]。現在は前方部の裾部に祠が祀られている[2]。
埋葬施設
[編集]埋葬施設は複室構造の両袖式横穴式石室で、玄室・前室の2室と羨道で構成される[2]。史料によると、江戸時代にはすでに石室は開口し人が出入りしていたという[2]。石室の規模は次の通り[2]。
出土品
[編集]出土品としては、金製品・金銅製大刀柄頭・馬具類・トンボ玉・陶器・新羅土器が見つかっている[3]。
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後円部墳頂
関連施設
[編集]- 壱岐市立一支国博物館(壱岐市芦辺町深江鶴亀触)
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 地方自治体発行
- 『壱岐市の文化財』壱岐市教育委員会、2017年。
- 事典類
- 田川肇「対馬塚古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『県内古墳詳細分布調査報告書 -県内古墳の墳丘・石室の資料化に伴う報告書-』長崎県教育委員会〈長崎県文化財調査報告書第106集〉、1992年 。 - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
- 『対馬塚古墳 -市内遺跡発掘調査事業に伴う発掘調査-』壱岐市教育委員会〈壱岐市文化財調査報告書第6集〉、2005年。
- 『壱岐の島の古墳群 -現状調査-』壱岐市教育委員会〈壱岐市文化財調査報告書第20集〉、2012年。
外部リンク
[編集]- 壱岐古墳群 - 長崎県ホームページ「長崎県の文化財」