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寿操院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

寿操院(じゅそういん、1836年8月6日天保7年6月24日[1]) - 1885年明治18年)4月12日[1])は、江戸時代後期の女性。広島藩第10代藩主・浅野慶熾正室。父は徳川斉荘。養父は徳川斉彊。別名は利姫

生涯

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尾張徳川家12代当主の徳川斉荘の次女として江戸に生まれる。母は善行院(お八百・宮田氏)[2]。10歳のときに父・斉荘が死去したため、跡目を継ぐために養子に入った徳川慶臧と婚約する。しかし14歳のときに、夫となるはずだった慶臧が死去してしまい、広島藩主・浅野家の嫡男で、利姫と同い年の浅野慶熾に嫁いだ。1858年安政5年)、慶熾は広島藩主に就任するが、わずか半年で急死[3]

1885年明治18年)、死去。

脚注

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  1. ^ a b 平成新修旧華族家系大成 上巻』(霞会館、1996年)p.24
  2. ^ 安芸広島藩主家 浅野氏系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年6月2日閲覧。
  3. ^ サテライト展示 浅野文庫所蔵資料紹介 「東都名所霞ヶ関名所」”. 広島市立図書館. 2023年6月2日閲覧。