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専福寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
専福寺
所在地 長野県中野市竹原850
位置 北緯36度45分54.6秒 東経138度22分49.8秒 / 北緯36.765167度 東経138.380500度 / 36.765167; 138.380500座標: 北緯36度45分54.6秒 東経138度22分49.8秒 / 北緯36.765167度 東経138.380500度 / 36.765167; 138.380500
山号 大熊山
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 1484年
開山 了観和尚
法人番号 9100005005364 ウィキデータを編集
専福寺の位置(長野県内)
専福寺
専福寺
専福寺 (長野県)
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専福寺(せんぷくじ)は、長野県中野市竹原にある真宗大谷派の寺院である。山号は大熊山。本尊は阿弥陀如来

概要

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開山は室町時代中期の1484年(文明16年)。了観(浄興寺9世住職巧観の弟)が、本願寺8世蓮如上人(本願寺中興の祖)より阿弥陀如来のご本尊が与えられ、城主高梨氏の援護を受け、中野市大熊に分寺したのを始まりとする[1][2]

本堂

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1646年(正保2年)仮本堂として建立されたものを、1733年(享保18年)七間四面に増築され、1985年(昭和60年)に開基五百年の事業として外陣を改修し、2007年(平成19年)屋根および内陣を改修した。阿弥陀如来像(本願寺派の様式)が安置されている[1][2]

歴史

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  • 1484年(文明16年) 了観(浄興寺9世住職巧観の弟)が、本願寺8世蓮如上人(本願寺中興の祖)より阿弥陀如来のご本尊が与えられ、城主高梨氏の援護を受け、中野市大熊(今の北大熊)に分寺。
  • 1577年 (天正5年)  石山合戦に兵糧送る。十俵一斗。
  • 1592年 (文禄元年)  本堂建立する。
  • 1646年(正保2年) 山崩れのため堂宇倒壊し、現在の中野市竹原に移転、仮本堂建立。
  • 1676年(延宝5年) 大谷派本願寺門跡琢如上人より阿弥陀如来木造下付。(紙本本尊と引替えて安置)
  • 1723年(享保8年) 鐘楼建替え。
  • 1733年(享保18年) 本堂増築。
  • 1885年 (明治19年) 竹原学校開校。(場所 専福寺)
  • 1896年(明治29年) 太子堂(太子林(夜間瀬川のそばにあった))のお堂、大洪水で流され境内に移転。
  • 1943年 (昭和18年) 梵鐘供出。
  • 1945年 (昭和20年) (東京)千住第六国民学校専福寺学寮開校。5月~11月(疎開)
  • 1948年(昭和23年) 梵鐘再鋳。
  • 1968年(昭和43年) 客殿建替え。落慶法要。そのときくぼみ石数個発見。
  • 1979年(昭和54年) 太子堂建替え(聖徳太子の像を安置)。
  • 1985年(昭和60年) 開基五百年法要。記念碑建立。
  • 2007年(平成19年) 本堂屋根・内陣改修。
  • 2010年 (平成22年) 蓮如上人五百回御遠忌法要兼本堂修復落慶法要。(東本願寺信悟院連枝御参修)[1][2]

境内

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  • 本堂
  • 太子堂
  • 鐘楼(毎日、午前11時30分に「勧農の鐘」(梵鐘)を鳴らす。)
  • 菩提樹(本山、法主より植樹されたもの。)
  • 開基五百年記念碑(開基五百年を記念し建てられた。)
  • くぼみ石(石器時代のもの)
  • 龍勢(明治頃まで行われていた竹原の花火で巨大なロケット花火。(長さ5m))
  • 筆塚(江戸時代中期頃に地区の方に習字を教えていた秀階住職の墓。)[1]

歴代

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  • 二十一世 - 小野澤良巖
  • 二十二世 - 小野澤良秀
  • 二十三世 - 小野澤秀晃[1][2]

脚注

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  1. ^ a b c d e 専福寺
  2. ^ a b c d 『信濃の寺』 1970, p. 56-58.

参考文献

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  • 信濃の寺刊行会「専福寺」『信濃の寺』信濃の寺刊行会、1970年2月15日、56-58頁。