小倉桂子
小倉 桂子 Keiko Ogura | |
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生誕 |
1937年8月4日(87歳) 日本・広島県広島市 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 広島女学院大学英文学部 |
職業 | 通訳 |
配偶者 | 小倉馨(1962年 - 1979年) |
公式サイト | 平和のためのヒロシマ通訳者グループ |
小倉 桂子(おぐら けいこ、1937年8月4日 - )は、日本の被爆体験証言者、通訳。平和のためのヒロシマ通訳者グループ代表。
被爆体験を英語で証言できる数少ない被爆者として年間およそ2,000人に自らの体験を伝え続けている[1]。夫は小倉馨(広島平和記念資料館第3代館長)。
来歴
[編集]広島市生まれ。 1945年8月6日、8才の時に爆心地より2.4キロの広島市牛田町で被爆[2]。1959年、広島女学院大学英文学部卒業。
1962年、広島市役所勤務の小倉馨(米国生まれで17歳年上)と結婚[3]。
1979年8月、夫の小倉馨が平和宣言を書いている途中で、くも膜下出血で亡くなる(妻・桂子が42歳、長男が12歳、長女が15歳の時)。
翌1980年から海外から広島を訪れる平和運動家、作家、学者、メディアなどの通訳・コーディネートを始める。
1981年、ニューヨークで行われた第一回核被害者世界大会にて、アメリカで自身初の被爆証言を行う。あるアメリカ人から「原爆を落としたから、日本人は自決しなくてよかった。私たちは日本人を助けたんだ。私たちが爆弾を落として。」と言われる。一方、カリフォルニアで第二次世界大戦を知る70代から90代の人達に証言をした際は、「広島・長崎で、原爆によってそんな酷いことがあったことを初めて知った。知らないことや無関心が戦争を引き起こす。ごめんなさい。」と泣きながら抱きしめられた[4]。
1984年、「平和のためのヒロシマ通訳者グループ、Hiroshima Interpreters for Peace(HIP)」設立[5]。1985年、和英対訳「ヒロシマ事典」を刊行[6]。
1990年、株式会社アテンションを設立(通訳・翻訳・出版)。1991年、和英ガイドブック「ヒロシマ アテンション プリーズ(Hiroshima Attention Please)」刊行。アジア大会の手引書として、広島県民に広く利用される。
2005年、広島市民賞受賞。同年に英和対訳HIPの「平和公園ガイド」を刊行。2009年、広島ユネスコ活動奨励賞受賞。
2011年、広島平和文化センターより英語による被爆体験証言者を委嘱され登録。英語による被爆証言を開始。
2016年2月、和英対訳「英会話しながら広島ガイド(HIP’s Hiroshima Guide)」を発行(A5判76ページ。左右ページに日本語、英語を対応、発音練習用CD付き)[7]。
2016年、カリフォルニア州クレアモント、ポモナ大学で広島講座。合衆国議会とクレアモント市から表彰。
2017年春、ニューヨーク大学でロバート・リフトン教授とトークセッション。同年秋、ニューヨーク州シラキュース大学、オハイオ州ボーリンググリーン州立大学で1週間の広島講座。
2017年11月27日、核保有・非保有国双方の有識者が核軍縮の方策について議論する「賢人会議」の第1回会合(広島市で開催)で委員に英語で自身の被爆体験を伝える[8]。
2018年5月、ボストン地区のハーバード大学ケネディ行政大学院、マサチューセッツ工科大学、タフツ大学フレッチャー法律外交大学院の3校で広島講座[9]。
2018年7月10日、若尾祐司共編「戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡」上下巻(名古屋大学出版会)刊行[10][11][12][13][14][15]。
2023年5月19日、G7広島サミットで、原爆資料館を訪れた各国の首脳たちに自らの被爆体験を証言[16][17][18]。5月21日、ウクライナ・ゼレンスキー大統領が原爆資料館を視察した際にも証言・対話を行った[19][20][21][22][23]。
受賞
[編集]主な出演
[編集]- 2022年10月28日、NHK「いま 伝えたい 小倉桂子さん核大国アメリカでの対話」[24]
- 2023年8月、報道特別番組『アイ アム アトミックボム サバイバー~小倉桂子が伝え続ける理由~』(テレビ新広島制作、放送:8月6日14時~テレビ新広島/8月11日27時55分~フジテレビ)[25]。
関連項目
[編集]- ロベルト・ユンク(1913-1994)オーストリアのジャーナリスト。原爆製造に関わった科学者たちの行動と思索の跡をたどった「千の太陽よりも明るく」の著者[26]。
- 坪井直(1925-2021)日本原水爆被害者団体協議会代表委員。坪井が渡米した際に通訳を務めた。
- 学校法人広島女学院 - 2006年、学校法人として初の谷本清平和賞を受賞した母校の設置法人。
- サーロー節子(1932年- )被爆体験証言者で大学の先輩。
出典
[編集]- ^ “G7首相と対話 小倉桂子さん(85)”あの日の出来事” 英語で証言2023年5月19日”. 広島ホームテレビ. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “被爆体験者 小倉桂子氏のインタビュー 2015.8.7”. 赤十字国際委員会. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “「G7首脳に被爆体験証言、小倉さんの半生 夫の急死で一転 独学で英語学び通訳兼証言者に」2023.5.”. 中國新聞. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “ヒロシマの記憶を継ぐ人インタビュー 小倉桂子 - 被爆証言をはじめて「ヒバクシャは世界中にいる」ということに気づきました /2022年7月取材”. 第三世代が考える ヒロシマ「 」継ぐ展. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “平和のためのヒロシマ通訳者グループ”. ひろしま国際センター. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “Keiko Ogura 略歴”. 公益財団法人フォーリン・プレスセンター. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “誰でも英語で広島案内 通訳者団体、ガイド本を発行 2016年2月22日”. 日本経済新聞. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “核軍縮、広島で賢人会議 兵器削減提言へ議論”. 日本経済新聞. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “小倉桂子さんをボストンに招き、対話を通じて、被爆体験を世界に発信する /2018年5月”. camp-fire.jp. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “『戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡』 上下巻(2018年7月10日、名古屋大学出版会)”. 名古屋大学出版会. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “著書”. honto. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “「Hiroshimaをつ・た・え・る基礎講座」第2期について 2018年10月”. NPO法人 ワールド・フレンドシップ・センター. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “広島-ICANアカデミー2日目(2019年 核兵器と安全保障を学ぶ広島ICANアカデミー)”. 国際平和拠点ひろしま. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “9月30日、小倉桂子さんによるオンライン被ばく講話を開催(主催:HIROSHIMA & PEACEプログラム、共催:広島平和資料館)2020.10.09”. 広島市立大学. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “被爆証言:小倉桂子さん(広島平和礼拝2022)2022年8月6日”. 広島復活教会. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “G7広島サミット小倉桂子さん核「兵器のリアリティー伝わった」 2023年05月25日”. NHK. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “被爆者がG7首脳に語ったこと「私は見たし、感じたし、においをかいだ」小倉桂子さんの願い 2023年5月19日”. 東京新聞. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “G7首脳と対話の被爆者・小倉桂子さん 「小さな芽」信じ語り続ける 2023年5月19日”. 朝日新聞. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “ゼレンスキー大統領 原爆資料館で被爆者・小倉桂子さんと対話「被爆者としてお役目が果たせた」2023年5月21日”. TBS. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “【音声配信】特集「広島取材報告Part1~被爆者がみたG7サミット」小倉桂子▼2023年5月22日放送分”. TBSラジオ. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “動画報告:「広島の被爆者に聞く 核廃絶と世界平和への思い」(小倉桂子氏)2023年07月13日”. 公益財団法人 フォーリン・プレスセンター. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “「小倉桂子」”. 日本経済新聞. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “被爆者「核廃絶にあなたの力を」 広島訪問の米大学生に呼びかけ(共同通信”. 熊本日日新聞. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “「いま 伝えたい 小倉桂子さん核大国アメリカでの対話」2022年10月28日”. NHK. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “英語で被爆証言をする小倉桂子さんにテレビ新広島が2年半密着!2023年8月3日”. 2023年8月16日閲覧。
- ^ “『生きて』 通訳・被爆者 小倉桂子さん(1937年~) <7>ロベルト・ユンク”. 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター. 2023年8月16日閲覧。