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小原 下野守(おはら しもつけのかみ、生年不詳 - 天正10年3月11日(1582年4月3日))は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。武田勝頼の側近の1人で、『甲乱記』によれば弟に継忠がいる。
永禄5年(1562年)、弟の継忠と共に勝頼に附属された侍大将の1人であり、勝頼の有力な側近の家臣となった。ただ、弟の継忠のほうが勝頼からは重用されていたようで、竜朱印状の奉書も継忠のものが8点確認されている。
天正10年(1582年)3月、織田信長の甲州征伐では継忠と共に最後まで勝頼に従い、天目山において勝頼に殉じた。