小口勝彦
表示
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2017年2月) |
小口 勝彦(おぐち かつひこ、1944年7月28日[1] - )は、日本のアナウンサー、報道記者[2]、テレビディレクター。
略歴
[編集]早稲田大学文学部卒業後、1967年4月にTBSにアナウンサー12期生として入社(同期アナウンサーには青木靖雄、石森勝之、河野通太郎、久米宏、林美雄、宮内鎮雄、米沢光規)[5][6]。11月15日にアナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務となる[7]。主にニュース・報道系を担当[8]。
映画が好きで、ラジオ『朝のひととき』では日本映画を紹介。試写会にデンスケを持ち込んで音声をテープ録音したものを映画音楽・内容を紹介した。[9]
その後、報道局ラジオニュース部[10]に所属後、アナウンス職を離れディレクターに転身する[11]。
1996年、『お天気クジラ』『JNNニュースの森』におけるウェザーナビの評価で技術振興賞放送番組技術賞を受賞[12]。
元フジテレビアナウンサーの岩崎真純と結婚し、二児の父親となる。しかし、2009年10月に住宅2棟を全焼する火災に見舞われ、妻の真純を亡くした。また、この報道の際、小口の職業について団体職員と報じられている[13]。
出演番組
[編集]ラジオ
[編集]- 朝のひととき
制作番組
[編集]脚注
[編集]- ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、95頁。「生年月日 昭和19年7月28日」と明記しているが、ウィキペディアでは西暦で表記する。
- ^ 柳澤健 2016, p. 181, §III.
- ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、95頁。「出身地 大阪府」と明記。
- ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、95頁。「出身校 早稲田大学文学部」と明記。
- ^ 東京放送 編「III.放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、238頁。OCLC 166924883。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、21-22頁。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、22頁。
- ^ 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、21頁。
- ^ 柳澤健 2016, pp. 109–110, §II.
- ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、95頁。「ラジオニュース部」所属者と明記。
- ^ “SOLAR CAT NO.4”. books / solarcat. オーエム研究所 (2009年3月24日). 2017年2月24日閲覧。
- ^ 東京放送 編「VII.各種表彰 1.外部団体の表彰」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、287頁。OCLC 166924883。
- ^ “元アナ岩崎真純さん焼死…山本文郎アナ悲痛「神も仏もない」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2009年10月6日). オリジナルの2009年10月8日時点におけるアーカイブ。 2017年2月24日閲覧。
参考文献
[編集]- 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年。
- 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、東京、2002年1月。 NCID BA56123428。OCLC 58532591。全国書誌番号:20288703。
- 資料編
- ハイブリッド検索編
- 柳澤健『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』集英社、2016年5月31日。ISBN 978-4-08-781610-5。