小堀政展
表示
wikipediaは単なる紳士名鑑ではありません。 |
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 享保7年(1722年) |
死没 | 宝暦14年5月10日(1764年6月9日)[1][注釈 1][注釈 2] |
改名 | 政舊(初名)→政展 |
別名 | 金十郎、内匠、主税、宗信(号) |
官位 | 従五位下山城守[1] |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
氏族 | 小堀氏 |
父母 | 父:小堀政峯、養父:政報 |
兄弟 | 政養、政報、政寧、政展、政方、小堀惟貞室、内藤正雄正室 |
妻 | 遠藤胤親の娘 |
子 | 小堀政弘 |
小堀 政展(こぼり まさのぶ、1722年(享保7年) - 1764年6月(宝暦14年5月))は、江戸時代中期の旗本。禄高は3000石[2]。茶道小堀遠州流第8世で、号は「宗信」[1]。
小堀政峯の五男。小室藩主小堀政方の兄にあたる[1]。実兄である小堀政報の末期養子となり、享保18年12月27日(1734年1月31日)に跡を継ぐ[2]。延享5年1月11日(1748年2月9日)に使番、宝暦3年6月12日(1753年7月12日)に新番頭、宝暦10年4月26日(1760年6月9日)に小姓組番頭となり、同年7月18日(グレゴリオ暦8月28日)に従五位下山城守に叙任した[2]。宝暦14年5月(1764年6月)に43歳で死去。