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小堀政恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小堀政恒
小堀政恒
時代 江戸時代前期
生誕 慶安2年3月25日1649年5月6日
死没 元禄7年1月2日1694年1月26日
改名 主繕(幼名)、政延(初名)、政恒
別名 宗實(号)
戒名 法源院
墓所 滋賀県長浜市の孤蓬庵
官位 従五位下和泉守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家光家綱
近江小室藩
氏族 小堀氏
父母 小堀正之森川氏之
兄弟 政恒松平康寛正室、水野重職
土岐頼行娘・円鏡院
真光院
政房政峯岡田善諧正室、小堀克敬室ら
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小堀 政恒(こぼり まさつね)は、江戸時代前期の大名近江国小室藩3代藩主。官位従五位下和泉守。小室藩小堀家4代。遠州流茶道3世家元。号は宗實

略歴

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2代藩主・小堀正之の長男として誕生。母は森川氏之の娘。幼名は主繕、初名は小堀政延。

延宝2年(1674年)、父の死去により跡を継ぐ。臨時で駿府加番を務めたことがある。御詰衆、田安御門番などを歴任した。天和2年(1682年)には朝鮮通信使の御馳走役、元禄4年(1691年)には日光東照宮御祭礼奉行を勤める。元禄7年(1694年)元旦に江戸城に登城したとき、急病により倒れて翌日に江戸屋敷で死去した。享年46。法号は法源院。墓所は滋賀県長浜市の孤蓬庵。跡を四男・政房が継いだ。

藤田乗因に、茶法は父・正之に学んだ。

土芥寇讎記』では「(政恒は)茶の湯を好む」とどちらかと言うと宜しくない行状として記されているが、そもそも家元である。

系譜

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