小堀政恒
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小堀政恒 | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 慶安2年3月25日(1649年5月6日) |
死没 | 元禄7年1月2日(1694年1月26日) |
改名 | 主繕(幼名)、政延(初名)、政恒 |
別名 | 宗實(号) |
戒名 | 法源院 |
墓所 | 滋賀県長浜市の孤蓬庵 |
官位 | 従五位下和泉守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光、家綱 |
藩 | 近江小室藩主 |
氏族 | 小堀氏 |
父母 | 小堀正之、森川氏之娘 |
兄弟 | 政恒、松平康寛正室、水野重職室 |
妻 |
土岐頼行娘・円鏡院 真光院 |
子 | 政房、政峯、岡田善諧正室、小堀克敬室ら |
小堀 政恒(こぼり まさつね)は、江戸時代前期の大名。近江国小室藩3代藩主。官位は従五位下・和泉守。小室藩小堀家4代。遠州流茶道3世家元。号は宗實。
略歴
[編集]2代藩主・小堀正之の長男として誕生。母は森川氏之の娘。幼名は主繕、初名は小堀政延。
延宝2年(1674年)、父の死去により跡を継ぐ。臨時で駿府加番を務めたことがある。御詰衆、田安御門番などを歴任した。天和2年(1682年)には朝鮮通信使の御馳走役、元禄4年(1691年)には日光東照宮御祭礼奉行を勤める。元禄7年(1694年)元旦に江戸城に登城したとき、急病により倒れて翌日に江戸屋敷で死去した。享年46。法号は法源院。墓所は滋賀県長浜市の孤蓬庵。跡を四男・政房が継いだ。
『土芥寇讎記』では「(政恒は)茶の湯を好む」とどちらかと言うと宜しくない行状として記されているが、そもそも家元である。