小堀鴎一郎
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小堀 鴎一郎(こぼり おういちろう、1938年2月5日[1] - )は、日本の医師。医学博士(東京大学、1971年)。父は小堀四郎、母は小堀杏奴、母方の祖父は森鷗外[2]、母方の祖母は森志げ。岳父は嘉治隆一[3]。先祖に小堀遠州がいる。
人物
[編集]1938年、東京府に生まれる[4]。成城学園初等学校、成城学園中学校、國學院大學久我山高校、城北高校を経て[5]、1956年に東京都立戸山高等学校を卒業。1965年、東京大学医学部医学科卒業[6]。1971年、「胃癌の粘液、及び酵素に関する組織化学的研究」で東京大学より医学博士の学位を取得[7]。
外科医として食道癌を専門とし[8]、東京大学医学部附属病院第一外科や国立国際医療研究センターに約40年間勤務した[6]。国際医療研究センターでは病院長を務めた[9]。
定年退職後、埼玉県新座市の堀ノ内病院へ赴任[6]。当初は外来診療などに従事していたが、同僚の退職時に自宅で寝たきりの患者を引き継ぐよう依頼される[8]。このため、3年後から在宅患者への訪問診療に携わるようになった[8][9]。2018年、自身の訪問診療医としての看取りの経験を基に『死を生きた人びと : 訪問診療医と355人の患者』を執筆[6]。2019年、同書が第67回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した[10]。
著書
[編集]単著
[編集]- 『死を生きた人びと : 訪問診療医と355人の患者』みすず書房、2018年5月。ISBN 978-4622086901。
共著
[編集]- 小堀鴎一郎ほか『消化器』岩田誠、織田敏次、小坂樹徳、杉本恒明監修、暮しの手帖社〈新・病気とからだの読本 1〉、2000年7月。ISBN 978-4766000665。
- 養老孟司共著『死を受け入れること : 生と死をめぐる対話』祥伝社、2020年7月。ISBN 978-4396617301。
- 糸井重里共著『いつか来る死』マガジンハウス、2020年11月。ISBN 978-4838731268。
共編著
[編集]- 出月康夫総編集、小堀鴎一郎責任編集 編『癌 : 現況と最新治療』中山書店〈外科臨床ハンドブック 2〉、1994年4月。ISBN 978-4521440217。
- 横光桃子共編、小尾俊人編註 編『林太郎と杏奴』幻戯書房〈鷗外の遺産 1〉、2004年11月。ISBN 978-4901998093。
- 横光桃子共編、小尾俊人編註 編『母と子』幻戯書房〈鷗外の遺産 2〉、2005年8月。ISBN 978-4901998109。
- 横光桃子共編、小尾俊人編註 編『社会へ』幻戯書房〈鷗外の遺産 3〉、2006年6月。ISBN 978-4901998116。
脚注
[編集]- ^ 小堀鴎一郎先生プロフィール
- ^ “小堀鷗一郎” (2019年9月19日). 2021年1月10日閲覧。
- ^ 佐藤一齋先生年譜補遺田中佩刀、明治大学教養論集, 134 1980-03-01
- ^ “小堀鴎一郎さん 医療界の中枢から町の在宅医 個々の死を深く見つめて 往診の現場や患者の姿、著書に”. 毎日新聞. (2018年7月21日). オリジナルの2018年7月21日時点におけるアーカイブ。 2019年2月25日閲覧。
- ^ “【インタビュー】小堀鷗一郎(訪問診療医・82歳)「その人らしい死を迎えるため、医師と患者が共に考えることが必要です」”. 2023年11月3日閲覧。
- ^ a b c d “死を生きた人びと”. みすず書房. 2019年2月25日閲覧。
- ^ “胃癌の粘液、及び酵素に関する組織化学的研究”. CiNii Dissertations. 2021年1月13日閲覧。
- ^ a b c “(ひと)小堀鴎一郎さん 外科医から訪問診療医に転じた文豪の孫”. 朝日新聞. (2018年10月5日) 2019年2月25日閲覧。
- ^ a b “森鷗外の孫、東大卒医師が「町のお医者さん」になった理由”. 現代ビジネス. 講談社 (2019年1月1日). 2019年2月25日閲覧。
- ^ “第67回日本エッセイスト・クラブ賞が決定 『線量計と奥の細道』と『死を生きた人びと』の2作品が受賞”. Book Bang. 新潮社 (2019年5月29日). 2021年1月13日閲覧。