小宮山天香
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小宮山 天香(こみやま てんこう、安政2年4月11日(1855年5月26日) - 昭和5年(1930年)3月20日[1])は、19世紀末に活躍した小説家、翻訳家、新聞記者である。本名は桂介(けいすけ)、昌由(まさよし)[1]。
水戸藩士の子として常陸国磯浜(現・茨城県大洗町)に生まれる。祖父は儒学者の小宮山楓軒、兄は漢学者の小宮山綏介(南梁)[2]。1877年には、山梨県の「甲府観風新聞」で仮編集長をつとめる。その後、1880年には大阪にうつり、しばらくの間、大阪で「魁新聞」や「大阪日報」の記者として過ごす。1888年、東京に進出する大阪朝日新聞は、東京朝日新聞の主筆として天香を迎えた。これは、社主村山龍平が彼の才能を買ったからだという。
小説家としてもいくつかの作品を書き、当時の政治小説の書き手として知られた。自由民権運動の末期の国権拡張の動きに材をとった『聯島大王』(1887年)が、筑摩書房版『明治文学全集』に収録されている。1905年に東京朝日新聞社を退社[2]。
脚注
[編集]- ^ a b 20世紀日本人名事典
- ^ a b 朝倉治彦「小宮山天香の蔵書処分」(『参考書誌研究』12号所収、1976年)
参考文献
[編集]- 『明治文学全集 明治政治小説集(二)』解題(柳田泉執筆)