小屋光雄
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小屋 光雄(こや みつお、慶応2年7月19日[1](1866年8月28日) – 昭和17年(1942年)5月16日[2])は、日本の衆議院議員(中正倶楽部→新正倶楽部)。医師。
経歴
[編集]伊勢国一志郡久居(現在の三重県津市)出身[3]。1888年(明治21年)に大阪医学校を卒業した後、東京帝国大学医科大学と伝染病研究所で学んだ[2]。大阪府警察本部詰医・大阪地方裁判所嘱託医を務めた後、小屋病院を開業し、一志郡医師会長、三重県医師会評議員・議長、大日本医師会評議員などを歴任した[2]。また久居町長、一志郡会議員、同議長、三重県会議員に選出された[2]。
1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
その他、中勢鉄道株式会社社長、伊勢電気鉄道株式会社取締役などを務めた[3]。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第49回帝国議会衆議院議員名簿』、1924年。
- ^ a b c d 衆議院議員名鑑 1962.
- ^ a b 大衆人事録 1930.
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。