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小幡儼太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小幡 儼太郎(おばた げんたろう、1848年12月17日(嘉永元年11月22日[1])– 1909年明治42年)7月8日[1][2][3])は、明治期の漢学者、政治家衆議院議員。幼名・正己[1]。号・楽山、水哉[1][3]

経歴

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紀伊国名草郡和歌山城[1][3][4]和歌山県和歌山区を経て現和歌山市)で、和歌山詰、紀伊田辺藩士・小幡儀左衛門の長男として生まれる[1][3]。父は早くに没した[1]

1868年(明治元年)京都で僧・天章に漢学を師事し、その後、大坂の並河華、兵庫の菅野健助に学び、さらに、東京の安井息軒塩谷宕陰伊勢土井有恪に師事した[1][3][4]牟婁郡田辺城下で漢学塾を開き子弟の教育を行った[1][4]

1873年(明治6年)第七大区学区取締に就任し、同区一小区長、西牟婁郡書記を歴任し、1881年(明治14年)に退職[1][2][3][4]。同年4月、補欠選挙で和歌山県会議員に当選し、1882年(明治15年)、1885年(明治18年)に再選され、1890年(明治23年)3月に辞職し、県会議員に3期・9年在任した[1][3]。1892年(明治25年)3月、田辺町会議員に当選し、1898年(明治31年)3月まで在任した[1][2][3]

1894年(明治27年)9月、第4回衆議院議員総選挙で和歌山県第3区から出馬して当選し、公同会に所属して衆議院議員を1期務めた[1][2][3]

著作

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  • 『類聚助語二百義 : 方言解』平井五牸堂、1887年。
  • 編訳、王治本校『日本警察新報』善隣訳書館ほか、1899年。

脚註

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『和歌山県議会歴代議員名鑑』72-73頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』115頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『和歌山県史 人物』102頁。
  4. ^ a b c d 『和歌山県人材録 前編』58頁。

参考文献

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  • 山崎伝之助『和歌山県人材録 前編』和歌山日日新聞社印刷部、1920年。
  • 『和歌山県議会歴代議員名鑑』和歌山県議会、1969年。
  • 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。