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小幡謙三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小幡 謙三(おばた けんぞう、1910年1月24日 - 1992年5月9日)は、日本の経営者石川県出身[1]

経歴

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1933年京都帝国大学法学部を卒業し、旭ベンベルグ絹糸での勤務を経て、1947年3月に旭化成工業取締役に就任し、その後は常務、専務を歴任した[1]

1965年12月に積水化学工業顧問に就任し、1966年2月に社長に就任し、1971年5月に会長に就任した[1]

1972年5月にユニチカ社長に就任し、1974年3月から1977年3月までに会長を務めた[1]

1970年から1990年までに積水ハウス会長を務め、讀賣テレビ放送監査役も務めた[1][2]

1992年5月9日心不全のために死去[3]。82歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e 人事興信所 1991, お70頁.
  2. ^ 現代物故者事典 1991-1993 p159
  3. ^ 1992年 5月11日 日本経済新聞 朝刊 p31

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第36版 上』人事興信所、1991年。 
先代
上野次郎男
積水化学工業社長
1966年 - 1971年
次代
下田謙治
先代
富井一雄
ユニチカ社長
1972年 - 1974年
次代
小寺新六郎