小林信夫
基本情報 | |
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本名 | 小林 信夫 |
階級 | ライト級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1910年 |
出身地 |
日本統治・咸鏡南道元山府[大鑑 1] (現・朝鮮民主主義人民共和国 江原道元山市) |
死没日 | 1930年9月1日 |
スタイル | 右ボクサータイプ[大鑑 1] |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 12[大鑑 1] |
勝ち | 6 |
KO勝ち | 2 |
敗け | 4 |
引き分け | 2 |
小林 信夫(こばやし のぶお、男性、1910年 - 1930年9月1日)は、日本のプロボクサー。日本統治時代の咸鏡南道元山府(現・江原道元山市)出身。元日本ライト級王者(2度獲得、いずれも戦前の王座)。帝国拳闘会拳道社所属[大鑑 1][年鑑 1]。
来歴
[編集]1928年11月、プロデビュー[大鑑 1]。翌1929年11月、明治神宮体育大会ライト級に優勝し、日本同級王者に認定された[大鑑 2][年鑑 2]。
1930年4月、同門の高橋栄治に2RTKO勝利を収め、大日拳・帝拳認定の日本同級王者となった[大鑑 2][年鑑 2]。同年6月24日、上海から来日したジョー・サクラメント(フィリピン)の技巧の前に判定負けを喫し、王座を失った[大鑑 1]。
同年8月29日、甲子園テニスコートの特設リングで[年鑑 1]、前年に来日して以来連戦連勝のボビー・ウィルス(フィリピン)と対戦。ボビーの猛打に再三ダウンを喫し、9R2分40秒、タオル投入によりTKO負けとなった。この直後に意識を失い、リングに寝かされたまま介抱を受けたが意識は戻らず、翌日入院したものの医師にも手の施しようがなく[大鑑 1]、9月1日に死去した[年鑑 1]。これは日本ボクシング史上初のリング禍となった[大鑑 1][年鑑 1]。
獲得タイトル
[編集]- 第5代日本ライト級王座(戦前)
- 第6代日本ライト級王座(戦前)
参考文献
[編集]ボクシング・マガジン編集部編 『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』 ベースボール・マガジン社、2004年3月1日 ISBN 4-583-03784-8
『日本ボクシング年鑑2005』 ボクシング・マガジン編集部編、日本ボクシングコミッション/日本プロボクシング協会協力、ベースボール・マガジン社、2005年4月30日 ISBN 4-583-03849-6