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小林信夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小林 信夫
基本情報
本名 小林 信夫
階級 ライト級
国籍 日本の旗 日本
誕生日 1910年
出身地 日本統治咸鏡南道元山府[大鑑 1]
(現・朝鮮民主主義人民共和国
江原道元山市
死没日 1930年9月1日
スタイルボクサータイプ[大鑑 1]
プロボクシング戦績
総試合数 12[大鑑 1]
勝ち 6
KO勝ち 2
敗け 4
引き分け 2
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小林 信夫(こばやし のぶお、男性、1910年 - 1930年9月1日)は、日本プロボクサー日本統治時代咸鏡南道元山府(現・江原道元山市)出身。元日本ライト級王者(2度獲得、いずれも戦前の王座)。帝国拳闘会拳道社所属[大鑑 1][年鑑 1]

来歴

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1928年11月、プロデビュー[大鑑 1]。翌1929年11月、明治神宮体育大会ライト級に優勝し、日本同級王者に認定された[大鑑 2][年鑑 2]

1930年4月、同門の高橋栄治に2RTKO勝利を収め、大日拳・帝拳認定の日本同級王者となった[大鑑 2][年鑑 2]。同年6月24日、上海から来日したジョー・サクラメント(フィリピン)の技巧の前に判定負けを喫し、王座を失った[大鑑 1]

同年8月29日、甲子園テニスコートの特設リングで[年鑑 1]、前年に来日して以来連戦連勝のボビー・ウィルス(フィリピン)と対戦。ボビーの猛打に再三ダウンを喫し、9R2分40秒、タオル投入によりTKO負けとなった。この直後に意識を失い、リングに寝かされたまま介抱を受けたが意識は戻らず、翌日入院したものの医師にも手の施しようがなく[大鑑 1]、9月1日に死去した[年鑑 1]。これは日本ボクシング史上初のリング禍となった[大鑑 1][年鑑 1]

獲得タイトル

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  • 第5代日本ライト級王座(戦前)
  • 第6代日本ライト級王座(戦前)

参考文献

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ボクシング・マガジン編集部編 『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』 ベースボール・マガジン社、2004年3月1日 ISBN 4-583-03784-8

  1. ^ a b c d e f g h 「日本ライト級チャンピオン 小林信夫」、289頁。
  2. ^ a b 「歴代チャンピオン索引 - 日本チャンピオン - ライト級【戦前】」、9頁。

『日本ボクシング年鑑2005』 ボクシング・マガジン編集部編、日本ボクシングコミッション日本プロボクシング協会協力、ベースボール・マガジン社、2005年4月30日 ISBN 4-583-03849-6

  1. ^ a b c d 「ボクシング百科全書 - リング禍」、188頁。
  2. ^ a b 「オールチャンピオンリスト - 日本チャンピオン - ライト級(戦前)」、196頁。

関連項目

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