小林啓二
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小林 啓二(こばやし けいじ、1951年2月1日 - )は、日本の元オートレース選手。熊本県出身。8期、山陽オートレース場所属。
師匠は西島員規(期前、引退)、弟子は池浦一博(18期)、人見剛志(28期)。所有車は「ザ・シュベール/マーベリック/シンプソン /K・シンプソン/ チャンボゴ/テバク」。
選手データ
[編集]- 戦歴
- 通算優勝回数:150回(史上2位)
- グレードレース(SG、GI、GII)優勝回数:34回
- 全国区レース優勝回数、SG優勝回数:1回
- GI優勝回数:20回
- GII優勝回数:13回
- 年間最多優勝選手:4回
- 年間最多勝利選手:5回(高橋貢とともに史上最多タイ)
- 通算勝利数:1636勝(史上2位)
- 受賞歴
- 最優秀選手賞:1回
- 優秀選手賞:9回(高橋貢とともに史上最多タイ)
- 特別賞:4回
- 日刊三賞・技能賞:4回(浦田信輔とともに史上最多タイ)
- 日刊三賞・特別賞:1回
人物
[編集]- デビュー翌年に3級車での現在のGI相当の記念制覇や1600勝達成などの記録を持ち、62歳ながら全国上位ランクをキープしていた。
- バイクの傾けがやや大きく、脚をあまり出さないフォームで無理なつっこみをせず立ち上がりで捌くタイプである。
- スタートがあまり早くないため、オープン戦は苦戦していたがハンデレースに強い。なお還暦を過ぎた現在でも最重ハンデをキープしている唯一の選手である。
- その昔、記念制覇を連続し優勝も多かった時代があったが、どうしてもSGが取れなかった。「無冠の帝王」とも呼ばれた矢先、1991年飯塚で行われた第10回オールスターオートレースにて念願のSG初優勝。また、その時の走路は濡れ走路だった。山陽の選手は濡れ走路でしかSGを取れないというジンクスを強調する事になった。秋田敬吾、岡部聡(山陽19期)も取ったSGはいずれも濡れ走路だった。
- 2015年11月6日、船橋「常陸警備杯」9R・特別一般戦1着を最後に現役引退。2016年1月1日選手登録消除。
- 引退後の2016年からは、山陽オートで自身の名前を冠した「小林啓二杯」が年1回開催されている。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 小林啓二プロフィール・戦歴 - AutoRace.JP