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小林嘉平治

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小林嘉平治

小林 嘉平治(こばやし かへいじ、1876年明治9年)1月1日[1] - 1940年昭和15年)12月28日[1][2][3])は、明治時代末期から昭和時代前期の政治家実業家銀行家貴族院多額納税者議員衆議院議員(2期)。旧姓は山川[1]、旧名・真純[4][注 1]

経歴

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三重県安濃郡津城下(現津市)で[5]、山川真源の二男[注 2]として生まれる[4][6]。1902年(明治35年)8月、一志郡雲出村(現:津市)の先代・小林嘉平治の養子となり、1908年(明治41年)1月、家督を相続し嘉平治を襲名した[4][6]

1901年(明治34年)東京帝国大学文科大学哲学科を卒業する[3]。真宗勧学院教授を経て[1][3]1911年(明治44年)三重県会議員に当選する[2]。ほか、三重県農会特別議員、同評議員[2]、津商業会議所顧問、県農会長[3]などを歴任した。財界では、三重農工銀行頭取、三重合同電気監査役、朝熊登山鉄道取締役[2]下津醤油取締役、東邦電力顧問[3]などを務めた。

1915年(大正4年)の第12回衆議院議員総選挙では三重県郡部から中正会所属で出馬し当選する[5]。のち憲政会所属に転じた[3]。つづく第13回衆議院議員総選挙でも当選し、衆議院議員を通算2期務めた[1][2][3]。また、1925年(大正14年)三重県多額納税者として貴族院議員に互選され同年9月29日[7]から務め[2]、在任中に死去した[8][9]

親族

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  • 妻 小林てい(養父長女)[4][6]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『昭和人名辞典』コ10頁では直純。
  2. ^ 『昭和人名辞典』コ9頁では長男。

出典

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  1. ^ a b c d e 上田ほか 2001, 777頁.
  2. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 編 1960, 191頁.
  3. ^ a b c d e f g 衆議院、参議院 編 1962, 188頁.
  4. ^ a b c d 『人事興信録 第5版』こ12-13頁。
  5. ^ a b 衆議院事務局 1915, 253頁.
  6. ^ a b c 『昭和人名辞典』コ9-10頁。
  7. ^ 『官報』第3931号、大正14年9月30日。
  8. ^ 三重県ニ於テ貴族院多額納税者議員闕員ノ為ニ補闕選挙ヲ行フヘキコトヲ命セラル・(小林嘉平治死去ノアト)」 アジア歴史資料センター Ref.A14100855800 、昭和15年12月28日。
  9. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、50頁。

参考文献

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  • 衆議院事務局 編『衆議院要覧 下巻』衆議院事務局、1915年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1653712 
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 『昭和人名辞典』光人社、1933年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963 
  • 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3000139 
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496