小林有也
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小林 有也(こばやし うなり、1855年7月14日(安政2年6月1日) - 1914年(大正3年)6月9日)は、大阪府士族で教育者。幼名は小林 卯之助(こばやし うのすけ)。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人である。
経歴
[編集]- 1855年7月14日(安政2年6月1日) - 和泉国(現在の大阪府南西部)伯太藩重臣小林政之の長男として江戸藩邸(渋谷村)に生まれる。
- 1865年(慶応元年)ころ - 小姓として藩主渡辺章綱につかえる。
- 1870年(明治3年) - 貢進生となり、大学南校(後の開成学校、東京大学)に入学する。
- 1880年(明治13年)7月 - 東京大学仏語物理学科第3期卒業。
- 1881年(明治14年)5月 - 農商務省工務局に勤める。
- 1881年(明治14年)6月 - 東京物理学講習所の創立者の一人となり、同講習所の物理学教授となる。
- 1884年(明治17年)7月 - 農商務省と東京物理学校を辞し、中学校教則取調委員となり、長野県に赴任する。
- 1884年(明治17年)9月 - 長野県中学校を長野に創り、学校長と教諭を兼務。
- 1886年(明治19年)9月 - 長野県尋常中学校校長として、松本へ赴任。
- 1913年(大正2年) 11月 - 正六位に叙される。
- 1914年(大正3年) 6月9日 - 在職中に逝去。墓所は、松本市中央の竜興寺。
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 (新設) |
長野県立松本中学校長 1901年 - 1914年 長野県松本中学校長 1899年 - 1901年 長野県尋常中学校長 1886年 - 1899年 長野県中学校長 1884年 - 1886年 |
次代 本荘太一郎 |