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小梨城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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小梨城
広島県
城郭構造 山城
天守構造 なし
築城主 小梨氏
築城年 室町時代中期以降
主な城主 水野将監
廃城年 1550年(天文19年)頃
遺構 曲輪、空堀
指定文化財 未指定
位置 北緯34度22分08.8秒 東経132度54分57.9秒 / 北緯34.369111度 東経132.916083度 / 34.369111; 132.916083
地図
小梨城の位置(広島県内)
小梨城
小梨城
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小梨城(おなしじょう)は、広島県竹原市小梨町字北谷平にあった日本の城

概要

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竹原小早川家庶流家小梨氏(小梨子氏とも表記)によって、沼田小早川家高山城に対峙する形で竹原小早川家の木村城の出城として築城された。

はっきりとした事は不明であるが、室町時代中期以降に築城され、1550年(天文19年)頃の小早川隆景による竹原・沼田両家統合の際には廃城となったと考えられる。

江戸時代末期に編纂された『芸藩通志』によると水野将監が所居したところで、水野将監は小梨将監とも称したとのみ記されている。現在、その遺構は後世の開墾・開発によりほとんど残っていない。

発掘調査

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1975年(昭和50年)、本城址のある丘陵をぶどう園として開発する計画がたてられ、関係各者と協議が重ねられるが城址の保存は不可能であるとの結論に達した。

この結果を受け、竹原市文化財保護委員会、広島県教育委員会の主導の下に小梨城跡発掘調査団が編成され発掘調査を行った。この調査で曲輪6ヶ所、空堀4ヶ所、その他遺物が検出された[1]

脚注

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  1. ^ 小梨城跡発掘調査団 1978

参考文献

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関連項目

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