小池新太郎
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小池新太郎 こいけ しんたろう | |
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生年月日 | 1893年11月10日 |
出生地 |
日本 兵庫県宍粟郡染河内村 (現・兵庫県宍粟市) |
没年月日 | 1949年7月2日(55歳没) |
出身校 | 兵庫県立農学校 |
前職 | 実業家 |
所属政党 |
(日本進歩党→) 民主党 |
宗教 | 真言宗 |
選挙区 | 兵庫県第2選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1946年 - 1947年3月31日 |
第17・18代 染河内村長 | |
在任期間 |
1936年2月11日 - 1940年2月9日 1940年2月11日 - 1946年3月5日 |
小池 新太郎(こいけ しんたろう、1893年11月10日[1][2] - 1949年7月2日[3][4])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]兵庫県宍粟郡染河内村(現・宍粟市)生まれ[2][4][5]。1923年5月、家督相続[2]。兵庫県立農学校で学んだ後、普通文官試験に合格して、1930年まで税務署属であった[2]。染河内村農業会長、同森林組合長、同農地委員会長、宍粟郡畜産組合長(1939年3月22日から[6])、同家畜保険組合長、同輓馬組合長、兵庫県農業会宍粟支部長、中国食品工業(株)取締役社長、日東工業(株)取締役となる[3]。
1936年2月11日から1940年2月9日までと、同月11日から1946年3月5日まで第17・18代染河内村長を務めた[7]。
1946年の第22回衆議院議員総選挙で兵庫県第2区(大選挙区制)から日本進歩党公認で立候補して定数7人中5位で当選[8][9]、1期務める[5]。日本進歩党では党常議員、党常任幹事を務めた[5]。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1949年死去。宗教は真言宗[2]。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、6頁。
- ^ a b c d e 『代議士録』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』236頁。
- ^ a b 『兵庫県人物事典 下巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c 『国会大鑑 衆議院篇』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『兵庫県畜産組合聯合会二十年史 下巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『兵庫県市町村合併史 下』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』152~153頁。
- ^ “兵庫2区 - 第22回衆議院議員選挙(衆議院議員総選挙)1946年04月10日投票 | 選挙ドットコム”. 選挙ドットコム. 2024年6月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。