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小河重清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小河 重清
時代 鎌倉時代
生誕 1148年?
死没 1221年
別名 小川 重清、山田 重清、水野 重清、又三郎
幕府 鎌倉幕府
主君 源頼朝頼家実朝後鳥羽天皇
氏族 清和源氏満政流(尾張源氏
父母 父:小河重房、母:不明
兄弟 重清、重満
友重
養子清房(経村)
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小河 重清(おがわ しげきよ、1148年?-1221年)は、鎌倉時代武将小河重房の子[1]尾張源氏。小河氏2代当主。

概要

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父・重房の嫡男として尾張国春日井郡山田庄水野(現・愛知県瀬戸市) にて誕生。その後、尾張国知多郡小川村(知多郡阿久比郷小河、現在の愛知県知多郡東浦町緒川)に移り住む。[2]嫡男の友重が早世したため、近衛道経の子の経村(清房)を養子とする。祖父重房と父重清から一字づつとり、以後、清房と名乗った。[3]後鳥羽天皇長衛尉として朝廷の職官にもあたる。この頃、鎌倉幕府とは付かず、離れずの関係にあった。1221年承久3年)に起こった『承久の乱』で朝廷側とし参戦し、美濃国にて討死。ともに戦った清房は、伯父の関白近衛家実のもと隠れて免れた。[4]

脚注

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  1. ^ 水野氏(清和源氏・満政流)の系図。小河重房〜水野清忠の系図”. 2023年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月19日閲覧。
  2. ^ 「於大の方」と水野氏系図”. 2023年1月23日閲覧。
  3. ^ 水野家の新宮入封【紀伊国新宮水野家】”. 2023年1月23日閲覧。
  4. ^ 愛知の城 尾張 高藪城”. 2023年1月23日閲覧。

参考文献

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  • 尊卑分脈
出典
  • 続群書類従 29巻上(雑部) 塙保己一, 太田藤四郎 1958年
  • 群書系図部集3(第2巻)
  • 新訂寛政重修諸家譜26(索引 4 - 516 ページ・24: 索引 2 - 164 ページ)
  • 網野善彦著作集(第4巻-124 ページ)
  • 姓氏家系大辭典(第1巻)

関連項目

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