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小治田安萬侶の墓

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小治田安萬侶墓
出土地

小治田安萬侶の墓(おはりだのやすまろのはか)は、奈良県奈良市都祁甲岡町にある古代奈良時代官人である小治田朝臣安萬侶火葬墓で、国の史跡に指定されている。

概要

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小治田 安萬侶(おはりだ の やすまろ、生年不詳 - 729年3月13日神亀6年2月9日)没)は、文武から聖武まで4代の天皇に仕えた官人で、蘇我稲目の後裔にあたる。『続日本紀』には719年(養老3年)に正五位上に叙されたとの記事があり、亡くなった時の位は従四位下であった。

1912年(明治45年)、茶畑開墾中に偶然木が発見され墓誌3枚が出土した。1951年(昭和26年)に改めて発掘調査が行われて火葬墓であることが確認された。

墓地は都祁水分神社がある丘陵の南斜面につくられており、墓誌の他に木櫃と副葬品の三彩の壷、銀製の和同開珎須恵器土師器が出土したほかに、双獣双鳳文鏡1面も同墓の出土品として伝わっている[1]。火葬は墓のすぐ近くで行われ、木櫃は1辺約3.6メートルの正方形の穴の中に炭とが敷かれた上に置かれていた。

なお、同じく墓誌が発見されている太安万侶は、名前が同一であるが別人である。同時代の文官ということもあって、よく混同される。

墓誌

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金銅小治田安万侶墓誌、東京国立博物館所蔵(重要文化財)

墓誌は金銅製で、国の重要文化財に指定されている。銘文は以下の通り。

左琴神亀六年二月九日

右京三條二坊従四位下小治田朝臣安
萬侶大倭國山邊郡都家郷郡里崗安墓
   神亀六年歳次己巳二月九日 

右書神亀六年二月九日

左琴と右書の銘文が内側に向かうように、木櫃の中の両側に立てかけられていたと言い伝わっている。

アクセス

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バス
奈良交通バス「来迎寺」停留所にて下車し北へ徒歩10分弱
名阪国道針インターより国道369号線経由約15分

文化財

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重要文化財(国指定)

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木櫃残闕・和同開珎・須恵器
東京国立博物館展示。
  • 金銅小治田安万侶墓誌 銅製小板二枚共(考古資料) - 東京国立博物館保管。1957年(昭和32年)6月18日指定[2]
    • 附指定:木櫃残闕 一括
    • 附指定:和同開珎(銀銭) 10枚
    • 附指定:土器類 一括
    • 附指定:鉄製品残闕 一括

国の史跡

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  • 小治田安萬侶墓 - 1969年(昭和44年)11月29日指定[3]

脚注

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  1. ^ 奈良国立博物館保管
  2. ^ 金銅小治田安万侶墓誌〈銅製小板二枚共/〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ 小治田安萬侶墓 - 国指定文化財等データベース(文化庁

参考文献

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  • 泉森皎; 伊藤勇輔; 河上邦彦『大和の古墳を語る』臨川書店〈臨川選書〉、1993年12月。ISBN 4-653-02593-2 
  • 『発掘 大和の遺宝 : 平成9年度 リニューアルオープン 記念特別展』奈良県立橿原考古学研究所附属博物館〈奈良県立橿原考古学研究所附属博物館特別展図録〉、1997年。 

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯34度35分48.3秒 東経135度56分56.8秒 / 北緯34.596750度 東経135.949111度 / 34.596750; 135.949111