小浜行隆
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小浜 行隆(おはま ゆきたか、貞享元年(1684年) - 宝暦3年12月3日(1753年11月27日))は、江戸時代中期の旗本。小浜広隆の子。母は安部信之の娘。通称は民松、孫三郎。兄に亀之助、姉に大久保忠明室(のちに離縁)。室は内田正衆の娘(のちに離縁)。子女に民松(早世)、小浜矩隆室(のちに離縁)、小浜季隆、高力長貫(高力長行養子)、坪内定孝室、助吉、小浜朝隆、永見為章室(のちに離縁)、仙石状久(仙石久住養子)、ほかに女子1人。
宝永2年(1705年)に父の広隆が没して家督を継ぐ。同年に摂津国の領地を越後国蒲原郡内6000石に移され、知行所を沢海に置く。享保9年(1724年)3月15日に大坂御船手となり、同年に布衣を着ることを許される。享保14年(1729年)3月29日、職を辞する。享保15年12月3日(1731年)に隠居して家督を子の小浜季隆に譲り、宝暦3年(1753年)に70歳で没した。法名は無三。墓所は、東京都文京区駒込の吉祥寺。子孫はのちに4000石となるが、幕末に至るまで存続した。