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小田切昌重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小田切昌重
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 不明
死没 慶長5年9月15日1600年10月21日
別名 治大夫[1]
主君 徳川家康
氏族 小田切氏
父母 父:小田切昌吉、母:牛奥織部某の妹[1]
兄弟 昌重昌次、某(加兵衛)、昌成[1]
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小田切 昌重(おだぎり まさしげ)は、戦国時代から江戸時代初期の武将徳川氏家臣

経歴・人物

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甲陽軍鑑』によると、父昌吉と共に原昌胤の「おぼへの衆」として配置される[2]。のち天正10年(1582年)3月の武田氏の滅亡後、父と共に徳川家康に仕え、のち遠江国秋葉寺にて連署の誓詞を奉る[1]。同年12月3日12月27日甲斐国山梨郡にて36貫文余りの地を賜る[1]天正18年(1590年小田原征伐にて戦功を挙げる[1]。のち関ヶ原の戦いにて井伊直政に従い、戦死する[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 寛政重修諸家譜』、巻第三百九十四。
  2. ^ 甲陽軍鑑