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小田切昌長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小田切昌長
時代 江戸時代中期
生誕 元文4年(1739年
死没 不明
別名 次郎助、次大夫[1]
主君 徳川家重徳川家治
氏族 佐野氏小田切氏
父母 父:佐野政長、養父:小田切昌行
母:大塚氏[1]
兄弟 佐野政之、某(兵之助)、佐野政方、某(銕之丞)、女子(鈴木長頼妻)、昌長[2]
山本正以の娘[1]
昌武河内正住昌明、某(庄三郎)、佐野昌信[1]
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小田切 昌長(おだぎり まさなが)は、江戸時代中期の武士徳川氏家臣

経歴・人物

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佐野政長の五男として生まれるが、小田切昌行が危篤となるとその養子となった[1]宝暦8年12月27日1759年1月25日)20歳で家督を継ぎ、宝暦10年9月10日1760年10月18日)、大番に列した[1]。のち騎射をつとめ、黄金2枚を賜う[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 寛政重修諸家譜』、巻第三百九十四。
  2. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第八百五十三