小田切春陵
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小田切 春陵(おだぎり しゅんりょう、安政4年(1857年)‐明治35年(1902年)6月3日)とは明治時代の名古屋の浮世絵師、画家。
来歴
[編集]小田切春江の長男。姓は小田切、名は忠和。俗称は多芸雄(たきお)といった。安政4年(1857年)に名古屋に生まれ、父の春江に絵の基礎を学んだ後、立松義寅(嘉陵)に師事、四条派を学んでいる。明治中期に作画しているが、絵画よりは図案、工芸意匠に関心が深く、父の遺稿を纏めて『奈留美加多』続編を現した。さらに地図の方面において銅版画で『尾張三河国全図』を制作出版している。春陵は主として七宝、陶磁器、漆器などの工芸方面に影響を残している。墓所は父と同じ名古屋市千種区の高岳院。法名は大量院雄誉春陵。
作品
[編集]作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款・印章 | 備考 |
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熱田神宮并別宮境内図 | 紙本著色 | 1巻 | 78.5x384.9 | 熱田神宮 | 1891年(明治24年)6月 | 款記「明治廾四年六月 春陵 小田切多芸雄謹寫」/白文方印 | 熱田神宮は明治26年(1893年)に社講を尾張造から神明造に改めており、尾張造の境内がよくわかる点で貴重[1]。 |
熱田神宮上棟式之図 | 絹本著色 | 1巻 | 51.0x72.9 | 熱田神宮(角田家旧蔵文書) | 1892年(明治25年)3月以降 | 款記「春陵小田切多芸雄謹圖」/朱文方印 | 明治25年(1892年)3月に斎行された上棟祭を描いたもの。同じ構図の作品がしばしば見られることから、上棟祭参列者に記念品として制作・頒布されたものか[1]。 |
明治天皇覧穫図 | 絹本著色 | 1幅 | 35.4x55.8 | 法人[2] | 1897年(明治30年) |