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小田嶋十黄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小田嶋 十黄(おだじま じゅっこう[1]1887年[2] - 1978年2月5日)は東京市本郷区出身の日本男性俳人俳画家洋画家本名小田嶋 義(おだじま よし)。別号に得魚洞。元社団法人現代俳画協会顧問。元パイロット万年筆顧問。

人物

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小学校卒業後、12歳で高尾山薬王院に入ってとなり、同寺の僧で俳誌「俳諧草紙」の主要俳人であった南南浪の勧めにより渡辺水巴に師事し俳句を学んだ。のち還俗し、洋画家を経て、俳句・俳画に専心するに至る。とりわけ俳画に独自の境地を拓いたことで知られ、現代俳画協会顧問、俳誌「南柯」顧問を務めるなど、斯界の発展に貢献した。著書に『俳画入門』『俳画への道』、句集に『ほそ道』などがある。

略歴

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  • 1971年、「小田嶋十黄句画碑」が高尾山薬王院参道に建つ。
明易や院を護りの杉木立 と刻んだ左半分に杉木立の画が刻されている[3]

作品

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  • 句集
  • 著書
    • 俳画入門(1930年)
    • 俳画への道(1967年)
    • 俳画(1977年

脚注・出典

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  1. ^ 名の読みは「じゅうこう」ともされる。本項では十黄自身の著書『俳画』(マコー社)によった
  2. ^ 生年を1888年とする説あり。本項では十黄自身の著書『俳画』(マコー社)、松井利彦編『俳句辞典 近代』(桜楓社)、日外アソシエーツ株式会社編『詩歌人名事典』(日外アソシエーツ)によった
  3. ^ 横山吉男『多摩の文学碑 百三十碑余の詳細解説』(武蔵野郷土史刊行会) 二十三、八王子市・高尾山 p271

関連項目

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参考文献

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