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小田泰知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小田 泰知
時代 鎌倉時代前期 - 中期
生誕 建暦元年(1211年[1]
死没 寛元3年5月13日1245年6月15日[1]
別名 奥太郎、阿弥陀坊[2]
官位 左衛門尉常陸介[1]
幕府 鎌倉幕府 常陸国守護
主君 藤原頼経頼嗣
氏族 小田氏
父母 父:小田知重[3]
兄弟 泰知高岡泰重小幡光重田野重継朝俊[3][2]
三浦泰村の娘[4]
時知[3]
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小田 泰知(おだ やすとも)は鎌倉時代中期の武士

生涯

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常陸国守護を務めた有力御家人小田知重の嫡男として生まれる。祖父は幕府初期の重臣だった八田知家[3]。祖父・父の跡を継いで常陸守護を務めた。泰知は寛元3年(1245年)35歳で死去したが、嫡男・時知は当時幼く、あるいは生母が宝治元年(1247年)の宝治合戦で没落した三浦氏の出身だったため、従弟の宍戸家周(国家)が守護職を継ぐことになった[5][6]

脚注

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参考文献

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  • 網野善彦 著「小田氏」、国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典』 2巻、吉川弘文館、1980年。ISBN 978-4-642-00502-9 
  • 茨城県史編集委員会 編『茨城県史』 2巻《中世編》、茨城県、1986年。 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 4巻、東京大学出版会、1969年。ISBN 978-4-13-090204-5 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 22巻、東京大学出版会、1975年。ISBN 978-4-13-090222-9 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 26巻、東京大学出版会、1997年。ISBN 978-4-13-090226-7