小田泰知
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時代 | 鎌倉時代前期 - 中期 |
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生誕 | 建暦元年(1211年)[1] |
死没 | 寛元3年5月13日(1245年6月15日)[1] |
別名 | 奥太郎、阿弥陀坊[2] |
官位 | 左衛門尉、常陸介[1] |
幕府 | 鎌倉幕府 常陸国守護 |
主君 | 藤原頼経、頼嗣 |
氏族 | 小田氏 |
父母 | 父:小田知重[3] |
兄弟 | 泰知、高岡泰重、小幡光重、田野重継、朝俊[3][2] |
妻 | 三浦泰村の娘[4] |
子 | 時知[3] |
生涯
[編集]常陸国守護を務めた有力御家人・小田知重の嫡男として生まれる。祖父は幕府初期の重臣だった八田知家[3]。祖父・父の跡を継いで常陸守護を務めた。泰知は寛元3年(1245年)35歳で死去したが、嫡男・時知は当時幼く、あるいは生母が宝治元年(1247年)の宝治合戦で没落した三浦氏の出身だったため、従弟の宍戸家周(国家)が守護職を継ぐことになった[5][6]。
脚注
[編集]- ^ a b c 『大日本史料』5-4, p. 859.
- ^ a b 『大日本史料』5-4, pp. 858–859.
- ^ a b c d 網野 1980.
- ^ 『大日本史料』5-22, pp. 134–135.
- ^ 『茨城県史』, p. 128.
- ^ 『大日本史料』5-26, p. 184.
参考文献
[編集]- 網野善彦 著「小田氏」、国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典』 2巻、吉川弘文館、1980年。ISBN 978-4-642-00502-9。
- 茨城県史編集委員会 編『茨城県史』 2巻《中世編》、茨城県、1986年。
- 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 4巻、東京大学出版会、1969年。ISBN 978-4-13-090204-5。
- 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 22巻、東京大学出版会、1975年。ISBN 978-4-13-090222-9。
- 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 26巻、東京大学出版会、1997年。ISBN 978-4-13-090226-7。