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小磯馨子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
こいそ かおるこ

小磯 馨子
生誕 1888年2月
日本の旗 日本 新潟県
死没 1950年5月24日(62歳没)
日本の旗 日本 東京都世田谷区
死因 敗血症
出身校 新潟高等女学校
配偶者 小磯國昭(夫)
子供 小磯昭一(長男)
小磯次昭(次男)
小磯三昭(三男)
小磯靖之(四男)
小磯省吾(五男)
小磯雪子(長女)
小磯旅子(次女)
牧口義方(父)
親戚 牧口義矩(兄)
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小磯 馨子(こいそ かおるこ、1888年明治21年)2月[1] - 1950年昭和25年)5月24日[2])は、日本の第41代内閣総理大臣である小磯國昭の妻(内閣総理大臣夫人)。新潟県出身。

経歴

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1887年明治20年)、越後国柏崎の豪商である牧口義方の五女として生まれる[1]。その後、新潟高等女学校(現在の新潟県立新潟中央高等学校)を卒業し[1]1907年(明治40年)に後に内閣総理大臣となる小磯國昭と結婚、5男2女を儲けた。

1950年昭和25年)4月には既に重病の床にあり、同月25日に極東国際軍事裁判A級戦犯として終身禁錮刑に処された夫の國昭が見舞いのため12時間の仮出所を許されて最後の対面をし[3]、この1か月後の同年5月24日に敗血症のため東京都世田谷区北沢の自宅で死去した[2]。國昭も半年後の11月3日に後を追うようにして死去している。

脚注

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  1. ^ a b c 『大衆人事録 昭和3年版』(帝国秘密探偵社、1927年)コ1頁
  2. ^ a b 朝日新聞 1950年5月25日、3面
  3. ^ 『出版年鑑 1951年版』(出版ニュース社、1951年)p.69
先代
東條かつ子
内閣総理大臣夫人
1944年7月22日 - 1945年4月7日
次代
鈴木たか