小笠原広業
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小笠原 広業(おがさわら ひろなり、生没年不詳)は、幕末の旗本。父は旗本・小笠原新九郎。官位は摂津守、讃岐守、甲斐守、伊賀守。幡豆小笠原氏。
弘化3年(1846年)書院番から御小納戸に進み、安政5年(1858年)将軍徳川家茂の小姓となり、同年諸大夫に叙任された。文久元年(1861年)から目付(外国掛)を務め、御用により対馬藩に派遣された。文久2年(1862年)家茂の御小納戸頭取となり、外国奉行に任じられた。元治元年(1864年)御側御用取次手伝、勤仕並寄合を経て兵庫奉行に任じられ、元治2年(1865年)日光奉行を経て目付(作事奉行格)に再任され、大坂における勘定奉行(勝手方)となり、家茂の長州征討では道中奉行を務めた。慶応2年(1866年)勤仕並寄合から江戸の勘定奉行(公事方)に再任された。慶応3年(1867年)一橋徳川家の家老となり、慶応4年(1868年)には御留守居となった。
出典
[編集]- 「徳川幕臣人名辞典」 東京堂出版 2010年