小西一家
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(小西組から転送)
設立者 | 小西音松 |
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本部 | 静岡県静岡市駿河区西島741-4 |
首領 | |
上部団体 | 六代目山口組 |
小西一家(こにしいっか)は、兵庫県神戸市に本部を置く暴力団で、指定暴力団山口組の二次団体。[1] 前身は『小西組』。
来歴
[編集]初代小西組
[編集]1945年の終戦直後、小西豊勝は別府~大阪間を結ぶ関西汽船にて船内賭博を行って資金を得ていた。その後、小西豊勝は、警察の取締りで、関西汽船内での船内賭博ができないようになり、別府市に移った。小西豊勝は、別府にて小西組を結成した。
二代目小西組・初代小西一家
[編集]1965年5月、小西豊勝組長が本多会組員に刺殺された。これに伴い弟の小西音松が二代目を継承。その後、二代目小西組を『小西組一家』に改称した[2]。
二代目小西一家
[編集]→詳細は「落合勇治」を参照
三代目小西一家
[編集]埼玉抗争で落合二代目総長以下40人以上の組幹部らが逮捕され、二代目若頭の小濱秀治(二代目堀政連合会長)も2018年6月に最高裁で無期懲役が確定した。このため、留守を守っていた小牧利之二代目総長代行が同年7月5日に三代目小西一家総長に就任、同時に獄中の落合二代目総長は総裁、小濱二代目若頭は最高顧問に就任した[3]。この人事には、組織固めを急ぐ六代目山口組と、一家を維持しようという落合二代目総長の意向が働いたとされる。
歴代総長
[編集]- 小西組組長 - 小西豊勝
- 小西一家初代 - 小西音松(三代目山口組若中、四代目山口組舎弟、五代目山口組顧問)
- 小西一家二代目 - 落合勇治(六代目山口組若中)[1]
- 小西一家三代目 - 小牧利之(六代目山口組若中)
最高幹部
[編集]- 総長 - 小牧利之
- 総裁 - 落合勇治(本名:落合益幸、平成25年7月18日,組織犯罪処罰法違反(組織的殺人),無期懲役判決)
- 最高顧問 - 小濱秀治(無期懲役判決)
出典
[編集]- ^ a b 『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6 のP.10
- ^ 溝口敦『山口組ドキュメント 血と抗争』三一書房、1985年、ISBN 4-380-85236-9 のP.100
- ^ 六代目山口組に新たな直参が誕生した理由…無期懲役が終身刑化した影響か、沖田臥竜(元山口組二次団体幹部)、ビジネスジャーナル、2018年7月13日、2019年3月10日閲覧