小谷一雄
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小谷 一雄 | |
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生誕 |
1891年12月6日 日本 東京府 |
死没 |
1945年8月6日(53歳没) 日本 広島県広島市 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
小谷 一雄(こたに かずお、1891年(明治24年)12月6日[1] - 1945年(昭和20年)8月6日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]東京府出身[1][注釈 1]。陸軍士官学校第25期卒業[1]。1923年(大正12年)3月に陸軍騎兵大尉[2]、1931年(昭和6年)8月に陸軍騎兵少佐に進級し[2]、1932年(昭和7年)4月に近衛騎兵連隊附となり[2]、東京府立第二中学校に配属された[2]。1936年(昭和11年)8月に陸軍騎兵中佐に進級し[3]、1937年(昭和12年)3月に軍馬補充部十勝支部長に就任した[3]。1939年(昭和14年)3月9日に騎兵第8連隊長(関東軍・第3軍・第8師団[4][5][6])に就任し[6]、同連隊が10月1日に捜索第8連隊(関東軍・第20軍・第8師団)に改編されるとそのまま連隊長に就いた[6][7][8]。1940年(昭和15年)8月に陸軍騎兵大佐に進級した[8]。
1942年(昭和17年)8月に馬政局事務官に転じ[8]、陸軍兵器行政本部附兼陸軍省兵務局附を経て[9]、1944年(昭和19年)5月に広島連隊区司令官に着任した[1]。1945年(昭和20年)3月31日に広島地区司令部部員に転じ[10]、6月10日に陸軍少将に進級した[8]。同年8月6日の広島市への原子爆弾投下により[1][8]、被爆死した[1][8]。同日任陸軍中将[8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g 福川 2001, 305頁.
- ^ a b c d e 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和10年9月1日調688頁
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和11年9月1日調682頁
- ^ 外山・森松 1987, 433頁.
- ^ 外山・森松 1987, 446頁.
- ^ a b c 外山・森松 1987, 447頁.
- ^ 外山・森松 1987, 717頁.
- ^ a b c d e f g 外山 1981, 345頁.
- ^ 「第102号 昭和19年5月27日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120910500
- ^ 「第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。