小野光賢
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小野 光賢(おの みつかた、1818年(文政元年) - 1900年(明治33年)7月17日)は幕末の商人。幼名は寅次郎。通称は兵助・兵右衛門。横浜の実業家小野光景の父。
経歴
[編集]信濃国伊那郡小野村の庄屋小沢家に生まれ、同村の小野家の養子となる。安政6年(1859年)に横浜に出て、貿易商を営む[1]。横浜の町会所役人を務め、『町会所日記』を残した。また勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟らと親交を持った[1]。明治元年(1868年)には横浜の町名主に推挙され、同4年(1871年)には改組により町名主から副市長となる[1]。同5年(1872年)に辞職して帰郷し、「光賢庵」で余生を送った。
子孫により「小野光賢・光景記念館」が設立された。
脚注
[編集]- ^ a b c 小野光賢・光景とは? 小野光賢・光景記念館
出典
[編集]- 「上伊那文化大事典」1990年
- 藤田賀久編「神奈川から考える世界史」2021年 えにし書房