コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

小野公誠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小野 公誠
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都東大和市
生年月日 (1974-07-11) 1974年7月11日(50歳)
身長
体重
176 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1996年 ドラフト4位
初出場 1997年7月20日
最終出場 2008年10月12日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 東京ヤクルトスワローズ (2013 - 2014)

小野 公誠(おの こうせい、1974年7月11日 - )は、東京都東大和市出身の元プロ野球選手捕手、右投右打)・コーチ

経歴

[編集]

プロ入り前

[編集]

聖望学園高校では、2年夏に1年上のエース門倉健を擁して一塁手で県大会準優勝[1]

高校通算28本塁打。また、改装後の県営大宮球場初の本塁打を放っている[2]

門倉と同じく東北福祉大学に進み、バッテリーを組むと3年時には大学選手権準優勝[2]。4年時には正捕手として春季リーグ最優秀選手で大学選手権では延長サヨナラ本塁打の活躍でベスト4、明治神宮大会準優勝して日米大学野球では4番を打った[1]。3年時も春季リーグ戦最優秀選手、3・4年春の首位打者。ベストナイン3年春:三塁手、3年秋~4年秋:捕手[3]

1996年ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団。

ヤクルト時代

[編集]

1997年7月20日の対読売ジャイアンツ戦にてプロ初打席で初本塁打を三澤興一から放った。

当時のヤクルトは古田敦也が絶対的な正捕手だったこともあり、2000年までは一軍出場はほとんどなかったが、2001年に35試合に出場し、古田に次ぐ2番手捕手としての地位を固める。またベンチではムードメーカーだった。

2005年には古田の衰えや故障離脱に伴い、自己最多の62試合出場、7本塁打を記録している。しかし、2004年に故障した膝の影響もあり、これ以降は米野智人福川将和に押される形で一軍出場が激減。

2006年は守備固めで1試合に出場したのみに留まる。二軍では2006年から2年続けて3割台後半の打率を残した。

2007年には打力を買われて、アダム・リグスが故障してレギュラー不在になっていた一塁手で起用されたこともあったが、結果を残せなかった。この年は捕手としての一軍出場はなかった。

2008年10月12日に現役引退を表明。同日の対横浜ベイスターズ戦、同点の8回裏二死に代打で出場し、牛田成樹から決勝ソロ本塁打を打つ。小野はこの打席が現役最終打席で、一軍で2打席以上に立った選手としてはNPB史上初となる「プロ初打席と最終打席両方で本塁打を打った選手」となった[注 1]。試合終了後、同日の試合で同じく引退する真中満度会博文河端龍と共に引退セレモニーを行い、『ホームランで始まり、ホームランで終わった野球人生は宝物です』と最後の挨拶を行った。

引退後

[編集]

2009年から2012年までスワローズのスコアラーに就任。2013年はヤクルトの二軍バッテリーコーチを務め、2014年シーズンから一軍バッテリーコーチへと昇格[4]。10月8日に球団から同年限りで退団することが発表された[5]2018年現在は球団職員(査定担当)[6]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1997 ヤクルト 4 3 2 2 1 0 0 1 4 2 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .500 .667 2.000 2.667
2000 9 9 9 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .111 .111 .111 .222
2001 35 98 89 5 19 1 0 2 26 6 0 1 5 0 4 1 0 23 1 .213 .247 .292 .539
2002 41 84 80 10 18 4 0 4 34 11 0 0 1 0 1 1 2 22 1 .225 .253 .425 .678
2003 44 45 40 3 8 0 0 0 8 3 0 0 0 1 4 1 0 12 1 .200 .267 .200 .467
2004 29 42 40 4 7 1 0 1 11 3 0 0 0 0 2 0 0 13 1 .175 .214 .275 .489
2005 62 178 164 15 33 5 0 7 59 18 1 0 4 2 8 1 0 44 6 .201 .213 .360 .573
2006 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2007 10 18 16 1 2 1 0 0 3 3 0 0 0 1 1 0 0 7 1 .125 .167 .188 .355
2008 9 11 11 1 1 0 0 1 4 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .091 .091 .364 .455
通算:10年 244 488 451 41 90 12 0 16 150 48 1 1 10 4 21 4 2 128 11 .200 .236 .333 .569

年度別守備成績

[編集]


捕手 一塁


































1997 ヤクルト 2 1 0 0 0 1.000 0 0 0 0 .--- -
2000 1 1 0 0 0 1.000 0 0 0 0 .--- -
2001 34 163 11 0 0 1.000 6 16 14 2 .125 -
2002 28 146 8 2 0 .987 1 9 8 1 .111 -
2003 14 31 0 0 0 1.000 1 0 0 0 .--- -
2004 19 87 2 0 0 1.000 0 5 5 0 .000 -
2005 54 281 16 0 0 1.000 3 29 23 6 .207 -
2006 1 1 0 0 0 1.000 0 1 1 0 .000 -
2007 - 4 28 1 0 2 1.000
通算 153 711 37 2 0 .997 11 60 51 9 .150 4 28 1 0 2 1.000

記録

[編集]

背番号

[編集]
  • 32(1997年 - 2008年)
  • 86(2013年 - 2014年)

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ このほか、塩瀬盛道ドン・シュルジーは一軍で1打席のみに立ち、その打席で本塁打を打っている。

出典

[編集]
  1. ^ a b '97スポニチプロ野球手帳
  2. ^ a b 週刊ベースボール増刊 大学野球1996春季リーグ展望号 ベースボールマガジン社
  3. ^ 仙台六大学野球リーグ戦パンフレット
  4. ^ 2014年コーチングスタッフについて”. 東京ヤクルトスワローズ (2013年10月23日). 2013年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月11日閲覧。
  5. ^ 契約満了のお知らせ”. ヤクルト球団公式サイト (2014年10月8日). 2021年12月15日閲覧。
  6. ^ 本日は埼玉県営大宮球場にて西武ライオンズとの試合です。”. 東京ヤクルトスワローズ公式twitter (2018年6月12日). 2023年4月18日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]