小野寺章 (政治家)
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小野寺 章(おのでら あきら、1884年(明治17年)12月10日[1] - 1935年(昭和10年)2月3日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、実業家、弁護士。
経歴
[編集]岩手県東磐井郡黄海村(現在の一関市)に小野寺治平の二男として生まれる[3]。1909年(明治42年)、明治大学を卒業。卒業後は「刑法研究会」をおこして、研究調査に励んだ[3]。1913年(大正2年)、弁護士試験に合格し、法律事務所を開いた[3]。また日本林産株式会社を創業して取締役に就任し、さらに京浜窯業株式会社の監査役も兼ねた[3]。
1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第17回・第18回と当選を重ねた。その間、東北振興会幹事として、昭和東北大凶作や昭和三陸地震の救済に尽力した[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 佐藤幸平『東京弁護士名家録 第一巻』日本法曹要覧発行所、1925年。
- 故小野寺章位記追賜ノ件(国立公文書館 アジア歴史資料センター)