小野小町塚
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小野小町塚(おののこまちづか)は、京都府綴喜郡井手町にある塚。六歌仙及び三十六歌仙の一人小野小町の墓とされる。
概要
[編集]井手町に伝わる伝承では、小野小町は、晩年を井提寺(円提寺)に住み、玉川堤を散策したと伝えられる。小町の墓と伝えられる塚は、玉津岡神社参道の右脇にあり、周囲を石垣で囲った土壇上の礎石の上に、ほぼ立方体をした自然石を四個積み重ねている。この塚石は、井提寺(円提寺)の礎石とも伝えられる[1][2]。
1143年(康治2年)「山城国井堤郷旧地全図」(模写1326年、1803年)で、現在の場所に建立されているのが描かれている。ただし、この模写は「椿井文書」ではないかと指摘されており、定かではない。
背面に「清林」と刻まれており、建碑者の法名と考えられる[3]。
伝承
[編集]小野小町が晩年を井手町で過ごしたとされる伝承の根拠としては、9世紀後半に成立したとされる小野小町の家集『小町集』や『新後拾遺和歌集』に「色も香もなつかしきかな蛙鳴く井出のわたりの山吹の花」と詠まれていることから、井手町に小野小町が実際に訪れていたことがうかがえる。また、鎌倉時代に成立したとされる『冷泉家流伊勢物語抄』やその記述に由来する近世の『山城名勝志』『和漢三才図絵』等によると、小野小町は、晩年、井提寺(円提寺)の別当の妻になり、69歳で井提寺にて没したとされる[4][5][6][7][8][9]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]外部リンク
[編集]座標: 北緯34度48分8.7秒 東経135度49分7.5秒 / 北緯34.802417度 東経135.818750度