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小野智華子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲得メダル
日本の旗 日本
女子 競泳
アジアパラ競技大会
2010 広州 100m背泳ぎ
2010 広州 200m個人メドレー
2010 広州 100m自由形

小野 智華子(おの ちかこ、1994年10月2日 - )は、日本の女子競泳選手。北海道釧路市出身[1](出生地は北見市[1][2])。全盲東京都筑波大学附属視覚特別支援学校出身、あいおいニッセイ同和損害保険勤務[3]

経歴

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体重わずか874グラムの未熟児として誕生し、間もなく未熟児網膜症で視力を失う[4]。未熟児で体が小さかったため、かつて水泳選手であった母の勧めで、体力作りのために小学1年生から水泳を始める[5]。やがて目覚ましい成績をあげ始め、表彰台の常連となる[6]。小学生時代には日本のトップクラスとなり[7]、北海道内の視覚障害者の水泳競技では先駆者的な存在となる[8]

2003年平成15年)10月に初めて上京し、全日本身体障害者水泳大会に出場[5]。これをきっかけに翌2004年(平成16年)、高校生や大学生たちによる障害者水泳の強化合宿に、小学生の身ながら特例参加。才能を磨き合う仲間たちと過ごし、世界を広げる[6]。やがて、障害者スポーツ大会の世界最高峰であるパラリンピック出場を夢に見るようになる[5]

介護役の母親も、普段から時には敢えて厳しく接しつつ、指導に使用する小道具を自作してプール際でサポートするなど、記録に大きく更新した[6]。釧路市身体障害者福祉センターのボランティア団体である釧路市点訳奉仕はなあかり会も、参考書の点訳で協力した[9]。水泳以外にもトライアスロン[5]登山などにも果敢に挑戦[9]。一般のプールでほかの利用者に迷惑がられるなどの苦労も多かったものの[8]、その後も練習に打ち込み、自身の得意とする背泳ぎでは、道内では敵なしといわれるまでになる[5]

2005年(平成17年)には宮城県仙台市で東北身体障害者水泳大会に出場。ジャパンパラリンピックの出場権をかけたともいえる重要なこの大会で、見事1分39秒を記録する[6][10]2006年(平成18年)には大阪府門真市で開催されたジャパンパラリンピック水泳競技大会に、国内最年少選手として出場[10]。中学進学後の2007年(平成19年)、日本代表の強化指定選手に最年少で選ばれる[6]。世界ランキングも4位となり、パラリンピック出場も夢ではなくなるまでに至る[5]

しかし2008年(平成20年)開催の北京パラリンピックでは、背泳ぎが競技種目から除外されたため、出場を断念[8]。親元を離れて札幌市北海道高等盲学校へ進学後、練習時間が減って記録が伸び悩んだことや[11]、水泳以外のことに興味を抱いたこともあり、一時は水泳の道自体を断念するが[8]、同じく全盲の競泳選手である河合純一の諭しなどもあり、水泳を再開する[12]

2009年(平成21年)、アジアユースパラゲームズの水泳競技に日本代表として初出場し[13]、100メートル背泳ぎ、女子50メートル自由形、女子100メートル自由形の3種目で優勝を飾る[14]2010年(平成22年)の中国広州市でのアジアパラ競技大会では、視覚障害全盲クラスの競泳女子100メートル背泳ぎ種目で金メダルを獲得[2][7]。十勝の障害者スポーツ選手の国際大会優勝は初の快挙であり[15]、200メートル個人メドレーと、100メートル自由形でも銅メダルを獲得した[2][15]

そして北海道帯広市在住時の2012年(平成24年)、国内大会の女子100メートル背泳ぎで世界ランキング7位を記録したことで[8]、念願のロンドンパラリンピック日本代表に初めて選ばれる[6][12]。十勝のパラリンピック選手は1984年昭和59年)冬季のインスブルックパラリンピック以来28年ぶりであり、夏季大会出場は初、道内の障害者水泳選手としても初の快挙であった[7]。女子100メートル背泳ぎでは予選で自己ベストを更新して決勝進出[16][6]、決勝では8位入賞の快挙を果たした[17][18]。ほかの100メートル自由形などの種目は予選敗退したものの[14]、全種目で自己ベストを更新[16][19]。練習の成果を確実に発揮し、落選ながら収穫を得る結果となった[11]。最も得意とする背泳ぎですらメダルには届かなかったものの、その健闘ぶりには北海道高等盲学校、帯広水泳協会、かつて通っていた釧路市内の幼稚園など、北海道内の多くの関係者が拍手を送った[17]

高校卒業後は郷里の北海道を離れ、東京都の筑波大学附属特別支援学校へ進学を経て、2016年(平成28年)にあいおいニッセイ同和損害保険に入社し[3]世界選手権大会を目指して水泳を続けている[20]

表彰

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  • 2011年 - 平成23年度帯広市スポーツ賞[14]
    • アジアパラ競技大会での成績の評価による。
  • 2012年 - 帯広市特別表彰
    • 同年のロンドンパラリンピック出場後に受賞。帯広市のスポーツでの特別表彰の受賞は6人目で、氷上競技以外では初めて[21]
  • 2013年 - 北海道水泳連盟創立80周年記念式典・特別表彰[22]

メディア

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北海道の札幌テレビ放送(STV)ではロンドンパラリンピックまで約10年以上、取材を続けてきた[18]。2005年には智華子と彼女を支える両親の姿を追ったドキュメンタリー『見えなくてもできる〜全盲のスイマー智華子の挑戦』が放映され、家族を結ぶ強い絆が多くの視聴者の感動を呼び、第32回日本賞NHK主催)で青少年番組の部の優秀番組に選ばれた[23][24]。53の国と地域、146機関から270作品が同賞にエントリーし、番組部門4つの優秀作品以上12作品のうち、日本の受賞作品はNHK日本テレビ、STVの3作品のみであり、国内ローカル局制作としてはSTVが唯一であった[23]

2013年には同じくSTV制作により、同局創立50周年記念番組として全国ネットのドキュメンタリー『まっすぐに智華子、夢へ』が放送された。智華子が大ファンであるダンス・ボーカルユニットのEXILEのメンバーの1人、智華子と同じ北海道出身者であるSHOKICHIが番組ナビゲーターとナレーションを務め、応援のために自ら帯広市へ赴く様子が放映された[6][25]。放送後は大きな反響を呼び、第40回日本賞のコンテンツ部門で「困難な状況下にある子どもの生活や境遇についての理解を促す優れた作品」として、日本の民間放送では唯一、ユニセフ賞を受賞した[25][26]。また、第19回北海道映像コンクールでは大賞(北海道知事賞)を受賞した[27]

脚注

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  1. ^ a b 須貝 2012, p. 20
  2. ^ a b c 片山 2011, p. 3
  3. ^ a b アスリートインタビュー”. あいおいニッセイ同和損害保険 (2016年4月3日). 2017年10月9日閲覧。
  4. ^ “全盲のスイマー 夢は世界舞台”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (2005年1月10日). http://www.tokachi.co.jp/WEBNEWS/050110.html 2014年2月17日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f まっすぐに智華子 全盲の少女と家族の13年”. ぎふチャン. 岐阜放送 (2010年3月). 2014年2月18日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h まっすぐに智華子、夢へ 〜全盲の少女、18歳の軌跡〜 (2013年4月27日放送回)の番組概要ページ”. gooテレビ番組. NTTレゾナント (2013年4月27日). 2019年5月26日閲覧。
  7. ^ a b c “道内初、水泳でパラリンピック決定”. 十勝毎日新聞. (2012年7月3日). http://www.tokachi.co.jp/news/201207/20120703-0012971.php 2014年2月17日閲覧。 
  8. ^ a b c d e 北海道新聞 2012a, p. 18
  9. ^ a b 河相 2005, p. 26
  10. ^ a b 中村 2006, p. 9
  11. ^ a b 安藤 2012a, p. 23
  12. ^ a b 北海道新聞 2012b, p. 13
  13. ^ 鹿内朗代 (2009年8月28日). “帯広盲学校の小野さん 水泳アジア大会に初出場”. 北海道新聞 勝社版 夕刊: p. 17 
  14. ^ a b c 記者会見配布資料” (PDF). 帯広市 (2012年9月19日). 2014年2月16日閲覧。
  15. ^ a b “アジアパラ大会 小野が金メダル”. 十勝毎日新聞. (2010年12月18日). http://www.tokachi.co.jp/news/201012/20101218-0007502.php 2014年2月17日閲覧。 
  16. ^ a b 安藤 2012b, p. 15
  17. ^ a b 北海道新聞 2012c, p. 10
  18. ^ a b まっすぐに智華子、夢へ 全盲の少女、18歳の軌跡”. 札幌テレビ放送 (2013年). 2017年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月17日閲覧。
  19. ^ “パラ五輪 競泳・小野選手 帯広市が表彰”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2012年10月9日). オリジナルの2013年5月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130527185654/http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20121009010200003.html 2014年12月28日閲覧。 
  20. ^ 佐々木延江 (2013年7月18日). “ロンドンから1年、それぞれの決意あらたに。ジャパンパラ水泳競技大会”. Paraphoto. 2013年11月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月16日閲覧。
  21. ^ 星野真 (2012年10月10日). “パラ五輪競泳入賞 小野選手「さらに良い記録を」市長が市特別表彰を贈呈”. 北海道新聞 勝B版 夕刊: p. 9 
  22. ^ 小森美香 (2013年10月28日). “道水連、創立80周年祝う”. 北海道新聞 札B版: p. 27 
  23. ^ a b 北海道新聞 2005, p. 2
  24. ^ 第32回日本賞 2005年 優秀番組”. JAPAN PRIZE International Contest For Educational Media -日本賞-. 日本放送協会. 2014年2月18日閲覧。
  25. ^ a b STV制作ドキュメンタリー 「まっすぐに智華子、夢へ 全盲の少女、18歳の軌跡」が教育コンテンツ国際ンクール「日本賞」で「ユニセフ賞」 受賞!』(プレスリリース)札幌テレビ放送、2013年10月25日http://www.stv.jp/info/press/hd0rnp0000003npp.html2014年2月17日閲覧 
  26. ^ 第40回日本賞 2013年 受賞作品”. JAPAN PRIZE International Contest For Educational Media -日本賞-. 2014年2月18日閲覧。
  27. ^ 石田雅年 (2013年12月). “北海道支部総会および北海道映像コンクール表彰式 開催のご案内” (PDF). 日本映画テレビ技術協会. 2014年2月17日閲覧。

参考文献

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  • 安藤徹 (2012年9月2日). “小野 落選でも収穫 50自”. 北海道新聞 (北海道新聞社) 
  • 安藤徹 (2012年9月4日). “小野、大舞台で進化 3種目自己新 競泳”. 北海道新聞 (北海道新聞社). オリジナルの2012年9月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120910040112/http://www.hokkaido-np.co.jp/news/2012paralympics/401461.html 2014年2月18日閲覧。 
  • 片山由紀 (2011年1月3日). “小野智華子さん アジア・パラリンピック競泳でメダル3個”. 北海道新聞 (北海道新聞社) 
  • 河相宏史 (2005年9月27日). “釧路「はなあかり会」社会科の参考書点訳 水泳で活躍 登山も挑戦 帯広の小野さんへ”. 北海道新聞 釧A版 (北海道新聞社) 
  • 須貝剛 (2012年9月4日). “小野選手 メダルに期待”. 北海道新聞 北A版 (北海道新聞社) 
  • 中村祐子 (2006年7月15日). “帯広盲学校の小野さん 水泳で光見えた 障害者全国大会最年少で出場”. 北海道新聞 夕刊 (北海道新聞社) 
  • “STV制作のドキュメンタリー「見えなくてもできる」「日本賞」で優秀番組に”. 北海道新聞 夕刊 (北海道新聞社). (2005年11月19日) 
  • “ゆけ! 道産子 ロンドンパラリンピック”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2012年8月25日). http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/2012para_dosanko/172188.html 2014年2月15日閲覧。 
  • “回り道……17歳夢舞台”. 北海道新聞 夕刊 (北海道新聞社). (2012年8月31日) 
  • “小野選手 女子背泳ぎ100で8位 努力結実「ブラボー」”. 北海道新聞 夕刊 (北海道新聞社). (2012年9月3日)