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小野義彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小野 義彦(おの よしひこ、1914年4月25日[1] - 1990年11月19日[1])は、日本経済学者大阪市立大学名誉教授マルクス主義の立場から資本主義批判を行った。

経歴

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東京府東京市四谷区生まれ[2]仙台第二中学校から第一高等学校へ進んだ[3]が、1933年に左翼活動のため中退。1938年京都帝国大学文学部史学科を卒業[4]、入営して中国や南方を転戦するが1943年、日本に帰された後の1944年軍法会議で懲役5年の判決を受けた[5]。これにより従七位を失位した[6]1945年10月に出所。1950年京都大学大学院修了。1955年大阪市立大学講師、1957年助教授1962年教授、1970年経済学部長となる[1]1969年、「戦後日本資本主義論」で大阪市大より経済学博士号を取得。1978年、大阪市大を定年退官、名誉教授岐阜経済大学教授を務めた。

著書

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  • 戦後日本資本主義論 従属経済論批判(青木書店 1963年)
  • 現代日本資本主義の危機 国家独占資本主義の展開(新泉社 1976年)
  • 「昭和史」を生きて 人民戦線から安保まで(三一書房 1985年4月)

翻訳

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参考文献

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  • 追悼小野義彦とその時代 資本主義論争と反戦平和の経済学者(小野義彦追悼集編集委員会編 知人社 1992年11月)
  • 署名なし(編)「故小野義彦教授略歴・著作目録」『岐阜経済大学論集』第25巻第2号、岐阜経済大学学会、1991年、205-212頁、CRID 1520572358451571456 

脚注

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  1. ^ a b c 署名なし 1991
  2. ^ 小野 義彦」『20世紀日本人名事典』https://kotobank.jp/word/%E5%B0%8F%E9%87%8E%20%E7%BE%A9%E5%BD%A6コトバンクより2024年3月21日閲覧 
  3. ^ 『第一高等学校一覧 自昭和6年至昭和7年』第一高等学校、1931年8月10日、162頁。NDLJP:1447793/87 
  4. ^ 『官報』第3391号、昭和13年4月25日、p.926.NDLJP:2959882/10
  5. ^ 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.165
  6. ^ 官報 1944年5月18日 二八七頁