小野虎助
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小野 虎助(おの とらすけ、旧姓・天野、1875年(明治8年)8月6日[1][2][3] - 没年不明)は、日本の実業家。小野商事代表社員[3][4]。族籍は大阪府平民[2][5]。
人物
[編集]山口県萩市出身[1]。大阪府・天野久良の長男[2][4][6]。27歳の時に小野清吉の養子となり、業務の傍ら私塾に入り修学する[1]。小野家は明治10年頃より造船業を経営していた[1]。
1924年に家督を相続する[3][4][7]。業務を拡張して「小野造船鉄工所」と称する[1]。造船並びに海運業を営む[6][7]。
小野鉄工造船所監査役、笠戸島船渠専務取締役[2]、同監査役[3][4]、同代表[5]、明石産業取締役などをつとめる[3][4][6]。住所は大阪市西成区千本通1丁目[3][4][7]、同市大正区中口町[5][6]。
家族・親族
[編集]- 小野家
- 養父・清吉(1846年 - ?)[5]
- 養母・みつ(1847年 - ?、京都、渡邊政助の四女)[5]
- 妻・こん(1883年 - ?、養父清吉の長女)[3][4]
- 長男・蒿太郞[3][4](1902年 - ?) - 府立市岡中学出身[1]。
- 二男(曾祖母天野チセの死跡を相続)[5]
- 長女、二女、三女、四女、五女[1]
- 孫[3]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『山口県史 下巻』県外在住人物65 - 66頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月4日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第7版』を19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第13版 上』オ41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第14版 上』オ38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月31日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第6版』を17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月16日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第11版 上』オ48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月31日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第10版 上』オ41頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年10月31日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 山口県史編纂所編『山口県史 下巻』山口県史編纂所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。