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尚寅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しょう いん

尚 寅
尚寅男(『琉球見聞録 : 附・琉球三冤録』より)
生誕 尚泰王 第四王子 思樽金
1866年11月22日
琉球王国首里
死没 (1905-02-17) 1905年2月17日(38歳没)
墓地 宜野湾御殿の墓
住居 宜野湾御殿
国籍 琉球王国日本の旗 日本
別名 宜野湾王子朝広
宜野湾御殿一世
職業 王族
貴族
実業家
肩書き 宜野湾間切按司地頭
琉球新報 創設者
運動・動向 公同会運動
宗教 祖先崇拝
配偶者 大山按司加那志(伊江朝永三女)
尚泰王
佐敷按司加那志
栄誉 男爵
正五位
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尚 寅(しょう いん、宜野湾王子朝広、同治5年10月16日1866年11月22日) - 明治38年(1905年2月17日)は、琉球国尚泰王の次子。男爵宜野湾御殿の元祖。童名・思樽金。

生涯

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栄典

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家族

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  • 父・尚泰王
  • 母・佐敷按司加那志
  • 妻・大山按司加那志(1871年(明治4年)4月16日 - 1918年(大正7年)12月17日、童名・真鍋樽(和名・ナベ子)、伊江朝永三女)
    • 長女・房子(1889年(明治22年)生。伊江朝助に嫁ぐ)
    • 長男・尚琳1891年(明治24年)12月12日 - 1963年(昭和38年)7月30日)
    • 次男・尚球(しょうきゅう、1892年(明治25年)9月23日生)

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宜野湾御殿の墓

宜野湾御殿の墓は、沖縄県那覇市史跡に指定されており、那覇市の末吉公園にある。

脚注

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  1. ^ 官報』第3901号「叙任及辞令」1896年7月1日。
  2. ^ 『官報』第5688号「叙任及辞令」1902年6月21日。

関連項目

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爵位
先代
叙爵
男爵
尚家(分家)初代
1896年 - 1905年
次代
尚琳