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尼崎伊三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

尼崎 伊三郎(あまさき いさぶろう、旧姓・松井、旧名・豊太郎[1][2][3]1868年4月12日明治元年3月20日[1] - 1955年昭和30年)12月28日[4])は、日本政治家貴族院議員[2]、大阪府多額納税[1][5][6]資産家[7]実業家。尼崎造船会長[8]。勲四等[4][8]。族籍は大阪府平民[1][2]

経歴

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現在の兵庫県尼崎市に生まれた[3][注 1]兵庫県人・松井豊吉の長男[6][8][9]。松井福松の兄[1]1900年(明治33年)6月、先代の伯父伊三郎の養子となり、1904年(明治37年)1月、家督を相続し襲名する[1][6]

遺業を継ぎ、土地貸家の管理、炭鉱、鉱山の経営に任じ、傍ら尼崎汽船部を設置して海運業に従事[6]。尼崎造船会長[8]、尼崎汽船、尼崎汽船部(のちの関西汽船)、大阪曹達、中外海上火災保険(SOMPOホールディングスの前身)各社長[6][8][9]豊国火災保険日新火災海上保険の前身)、三十四銀行各取締役、播州鉄道大阪曹達日本相互貯蓄銀行、大阪商事、共同信託各監査役などを歴任する[1][6]

この間、大阪市会議員を経て、大阪府多額納税者として貴族院議員に互選され、1911年(明治44年)9月29日[10]から1918年(大正7年)9月まで在任した[4]

人物

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上下和衷協力一致、事業の拡大発展をくわだて、怠らなかった[3]貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する[11]

二女君子の夫で養子の康定子爵・戸田康保の弟で[6]、尼崎汽船部常務[8]。三女の夫は尼崎造船社長田村太郎大阪府大阪市在籍で、住所は大阪府大阪市此花区下福島三丁目[6][11]、同市福島区鷺洲南[8]

栄典

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『大阪人物辞典』34頁では兵庫。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第4版』あ57頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月30日閲覧。
  2. ^ a b c 『人事興信録 第5版』あ61頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月2日閲覧。
  3. ^ a b c 『大阪財界人物史』527-528頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月2日閲覧。
  4. ^ a b c 『議会制度七十年史 第1』177頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月30日閲覧。
  5. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』大阪府9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月12日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第8版』ア109頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年11月30日閲覧。
  7. ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』7頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月1日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第15版 下』補遺2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月1日閲覧。
  9. ^ a b c 『人事興信録 第14版 上』ア117頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月1日閲覧。
  10. ^ 『官報』第8485号、明治44年9月30日。
  11. ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』貴族院多額納税議員互選者住所氏名 大阪府43頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月26日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
  • 国勢協会編『大阪財界人物史』国勢協会、1925年。
  • 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版版 上』人事興信所、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
  • 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。
  • 善貞司編『大阪人物辞典』清文堂出版、2000年。