尾崎靖夫
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 高知県吾川郡伊野町(現:いの町) |
生年月日 | 1940年5月20日 |
没年月日 | 2018年6月11日 |
身長 体重 |
165 cm 68 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1959年 |
初出場 | 1959年 |
最終出場 | 1959年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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尾﨑 靖夫(おざき やすお、1940年5月20日 - 2018年6月11日[要出典])は、高知県吾川郡伊野町[1]出身のプロ野球選手。
経歴
[編集]高知商業高校では、2年生の時に遊撃手として、1957年の春の選抜に出場[1]。小松俊広の好投もあって、小倉高、八幡商を破り準決勝に進出し、倉敷工の渡辺博文を打ち崩し勝利。しかし決勝では王貞治投手を擁する早実と対戦し3-5で敗退、準優勝にとどまった[2]。翌年も同期のエース森光正吉を擁し1958年の春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では2回戦で海南高に延長12回サヨナラ負け[2]。夏の選手権は準決勝に進出するが、柳井高の友歳克彦(法大-日本石油)に抑えられ0-1で完封負け[3]。
1959年に大洋ホエールズへ入団[1]。同年は一軍で起用され、6月には1試合に遊撃手として先発出場。しかしその後は出場機会に恵まれず1960年限りで引退。引退後は大洋でマネージャー、スカウトを担当した[1]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1959 | 大洋 | 7 | 7 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .143 | .143 | .143 | .286 |
通算:1年 | 7 | 7 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .143 | .143 | .143 | .286 |
背番号
[編集]- 45 (1959年 - 1960年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 尾崎靖夫 - NPB.jp 日本野球機構