尾立維孝
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尾立 維孝(おだて これたか、1860年1月8日(安政6年12月26日[1])- 1927年(昭和2年)6月21日[2][3])は、明治期の検察官。錦鶏間祗候。
経歴
[編集]豊前国宇佐郡津房村[2](現在の大分県宇佐市)出身。中津の白石照山塾で学んだ[2]。広島師範学校、二松學舍を経て、1883年(明治16年)に司法省法学校を卒業。東京地方裁判所判事補、大阪地方裁判所検事、東京地方裁判所検事、宮崎地方裁判所検事正、宇都宮地方裁判所検事正、名古屋地方裁判所検事正を歴任。1899年(明治32年)に台湾総督府法院覆審法院検察官長に転じた[2]。1910年(明治43年)に退官し、1912年(大正元年)11月18日に錦鶏間祗候となった[4]。
退官後は二松學舍理事を務めた[5]。
栄典
[編集]著書
[編集]- 『立志実伝大倉喜八郎』二松学舎出版部、1925年。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 佐藤巌『大分県人士録』大分県人士録発行所、1914年。
- 中村十生『増補 新豊前人物評伝』新豊前人物評伝刊行会、1978年。